超耐水性日焼け止め開発の顛末

作/ 松崎 有理

あっつい。
ヨーコは会社の正面玄関前からまぶしい夏空をみあげた。午前九時にして気温はすでに体温と同じ。地球温暖化の進行にともない、かつて温帯だった地域は亜熱帯と化していた。この都市も例外ではない。
顎から汗がつたって焼けた路面に落ちる。家を出るときしっかり塗ったはずの日焼け止めはなかば流れ去っていた。ヨーコはいまいましげに手の甲で汗をぬぐってから、社員証を通して扉を解錠し、空調のきいた建物のなかに入っていった。
ところでこの会社は中堅の化粧品メーカーで、ヨーコは開発部に所属する研究員である。
紫外線カットコーティング剤って、あるでしょ。あの窓とか車とかに塗るやつね。あんな感じで、すっごく水に強くて、紫外線もかんぺきに遮断できる日焼け止め。できたらいいよね」
扇子で顔をあおぎながら、開発部長は気軽な口調でこんなことをいった。
はあ」ヨーコはため息をつく。部長は営業から回されてきた人間だった。基礎となる科学知識がほとんどないのに、思いつきで突拍子もない開発プランを立てては研究員たちを振り回すのである。
紫外線カットコーティング剤のベースはアクリル樹脂だぞ。人体につかえるか、そんなもの。
と、口には出さずにつっこんだけれども、じつはこのテーマけっこうおもしろいんじゃないか、とも考えていた。畑ちがいだからこそ、部長はときに斬新な商品のアイデアを思いついてくれる。もちろんはずれも多いのだが。
汗で落ちない日焼け止め、か。
ノースリーブからのぞく自分の二の腕をみた。彼女の肌は国際スキンタイプ分類でいうと6段階の4番め、紫外線をあびるとほとんど赤くならずに黒くなってまうタイプである。加えて、極度の汗かきだ。部長の提案してきたテーマは、彼女の求めるものにも合致していた。
亜熱帯性気候から白い肌を守りたい。
お、それいいね」ヨーコのことばに部長が日焼けした顔をほころばせる。彼もタイプ4だが、紫外線にかんしてはまったく気にしていないようだ。まあ、男はそれでいい。
こうして、商品コピーまでいっしょにきまってしまった。超耐水性日焼け止めの開発は、ヨーコをチームリーダーとして開始された。

二年後。
ヨーコは百貨店一階の化粧品売り場をゆっくり歩いていた。棚に陳列される自社製品、とくに自分が開発にかかわった商品をながめるのはだいすきだった。発売されたばかりの超耐水性日焼け止めは商品のイメージカラーである純白の缶につめられている。スプレー式だから肌だけでなく髪にも、すなわち全身に使える。
売り場の壁には宣伝部が総力をあげてつくったポスターが貼られている。すきとおるような肌で有名な人気女優を起用し、コピーにはあのときのヨーコの台詞をつかってくれていた。亜熱帯性気候から白い肌を守りたい。
商品とポスターを交互にながめて満足げになんどもうなずく。こんなとき、大学に残らず企業の研究所を選んでほんとうによかったと思う。ものをつくりあげるよろこびは格別だ。
百貨店を出る。真昼の日差しがじかにあたり、熱風が押し寄せ汗が吹き出るが、彼女もじまんの新商品を肌に塗っているからこわくはない。
あっこれ、タカミーがCMしてるやつだ」
ぜったい汗で流れないんだよね。買ってみようかな」
ドラッグストアの店頭では女の子たちが純白の缶を手にして高い声をあげている。その横をとおりすぎざま、ヨーコはまたほほえむ。消費者の反応をみるのもすきだ。
日焼け止めの原理には大きくわけて分散型と吸収型がある。前者は、二酸化チタンや酸化亜鉛などの白色の粉末で紫外線を反射させるのだが、肌に塗ると不自然に白くなるので敬遠されていた。後者は、メトキシケイヒ酸オクチルやジメチルPABAオクチル、t-ブチルメトキシジベンゾイルメタンなどの吸収剤が紫外線を熱や赤外線に変えている。これらの物質は油に溶解させねばならないので、入れすぎるとべたつくのが難点だった。
肌に不快感をあたえず、しかも水に流れにくいものをいかにつくるか。
ここが開発上の最大の難題だった。ヒントは人体のなかにあった。体細胞を覆う膜は二重にならんだリン脂質でできており、外側は親水性で内側が疎水性となっている。ヨーコはこの自然の工夫にならい、水に落ちにくいにもかかわらず肌になじむ商品をつくりあげたのだった。
じまんの商品の手応えに満足して、炎天下の通りを抜けて会社の前までたどりついた。扉を開けようと社員証を出す。
そのとき。「この会社のかたでしょうか」
きれいなテノールが語りかけてきた。
とつぜんの声に驚いてふりむくと、五十歳前後とおぼしき長身の男性が立っていた。肌は抜けるように白い。典型的なタイプ1だ。
質問にたいしヨーコはうなずく。すると相手は端正な顔に微笑をうかべて、麻のジャケットのポケットからあの純白の缶をとりだした。「この商品について、お礼をいいたくて。おかげでこんな昼間でも外出できるようになりましたから」
彼の白い肌をもういちどみて、ヨーコも微笑を返した。タイプ1の肌は紫外線により火傷の症状を起こしてしまう。かれらにとって日焼け止めはたんなる美容アイテムではない。いわば身体を守る鎧だ、だから男性だって使用する。
わたしが開発者です。お役に立てて光栄です」
ヨーコの言葉に、相手は右手を差し出してきた。こちらも手を出して握る。肉づきが薄く指の細い上品な手だった。
まさか、開発者のかたに出会えるとは。どうです、よろしければなにか冷たいものでも」
彼は手を握ったままで熱心にいう。
そこまで喜んでもらえるなんて。ヨーコはうれしくなる反面、きみょうな違和感もおぼえていた。なにか変だ。そう、さっき会社に入ろうとしたとき。扉はガラスなのに、彼の姿は映っていなかった。だから背後からきゅうに声をかけられて驚いたんだ。きれいな歯並びだけど、みょうに犬歯が長くはないか。
おや。なにか」相手の微笑はますます美しくみえる。「なにか、気がつきましたか」
恐ろしくなって手をふりほどこうとした。だが相手はすごい力で握り返してきて、離してくれない。
たすけて。周囲をみまわす。しかし真昼の炎天下だ、通りにはかれら以外の人影はない。
では、まいりましょうか」彼は微笑をたたえたままでヨーコの手を引く。
そうだ、あれ。
ヨーコは空いたほうの手でハンドバッグををすばやく開け、日焼け止めとよく似たスプレー缶を引き出した。相手の顔に突きつけて思いきり噴射する。
あっ、なにを」相手は一瞬うろたえたが、またすぐに冷静さをとりもどした。「なんだ、なんでもないじゃないか。さあ、いこう」そういってまたヨーコの手を強く引いた、しかし。
彼の手は日差しの下でもろくもくずれた。腕が、身体ぜんたいが、みるまに灰になり、路上に広がって。
さいごには風に吹かれて消えてしまった。
はあああ、たすかった。
ヨーコは熱い路面にへたりこみ、片手に握った缶をみつめた。缶の色は白ではなく淡い褐色だ。超耐水性日焼け止め専用のクレンジング剤だった。化粧品と化粧落としをセットで開発するのは定石である。持ち歩いていてよかった、と大きく息をはく。
それからヨーコは路面にわずかに残った灰をみつめる。ふうん。吸血鬼って、可視光じゃなくて紫外線に弱かったんだ。これは新しい発見だな。うん、おもしろい。
あやうく命拾いしたところだというのに。研究者とはまあ、こんな人種である。

作者紹介

松崎 有理

1972年茨城県生まれ。東北大学理学部卒。
2008年、長編『イデアル』が第20回日本ファンタジーノベル大賞最終候補に。2010年、短編「あがり」で第1回創元SF短編賞を受賞しデビュー。おもな著作は『代書屋ミクラ』『洞窟で待っていた』『就職相談員蛇足軒の生活と意見』。