見知らぬ乗客

作/ 井上 雅彦

蒸気を動力とする機関がすべてのこの世から消え失せ、忘れ去られたとしても、〈夜汽車〉という言葉は廃れない。
宵闇色の窓に映る自分の〈制服〉を眺めながら、彼は、ますます、その感を深めていた。
聞こえてくるのは〈汽笛〉ではない。石炭をくべる火室も、煙管式ボイラーも、動輪を廻す力を与えるシリンダーもない。動力は、電気だ。それでも、乗客たちは、この時間枠での移動を、旅愁たっぷりに〈夜汽車の旅〉と呼びたがる。
人は呼びたいように呼ぶものだ。だから、彼自身が、一部の乗客から〈夜汽車の幽霊〉などと呼ばれているらしいことにも、彼は一定の理解を示してた。別に怪談じみた話ではない。この優雅なコンパートメントに相応しい古風な姿で、劇場の天井桟敷に棲みついた精霊よろしく前触れもなく、突如として現れるからなのだろう。
最後にひとつだけ、教えてください」
珈琲を注ぎおわると、彼は、必ず肝心の仕事にとりかかる。「あなたが、もしも、魔法のように途方もなく、未だこの世のなかに産み出されていない、なにやら素晴らしいものをお望みだとして、それを発明する科学力や財力が無制限にあるならば——あなたは、どんな発明をお望みですか?」

私は、もう何も望まんよ。この眼鏡さえあれば、もうなにも」
α号個室の乗客は、薄いレンズ越しに、彼の顔を注視しながら言った。「ウェラヴル端末としての機能のことじゃないよ。目の焦点を瞬時に合わせるための基本的な機能が備わっているという、それだけさ」
そう言って、男はまた手元の本に目を落とした。すこぶる透明なゼリイを思わせる眼鏡のレンズが、みるみるうちにブヨブヨと球形近くまで膨らんだ。
眼鏡をかけかえたり、遠近両用のレンズのふちを上げ下げする必要がないんだよ」
再び本から顔をあげると、たちまち、凹レンズに変形した眼鏡の中で巨大な目が、ぱちくり瞬いた。
眼鏡が私の脳波を受け取って、自分がその対象物を視るのに、丁度いい屈折率を勝手に算出して、自動的に液体状ナノポリマーのレンズを変形してくれるんだ」
それは便利ですね」
乱視が入っているのだろうか、左右の変形の動きが、右と左で、かなり異なっている。
なるほど、その眼鏡があれば、視力で悩むことはなくなってきますね。ひょっとすると、毛様体筋や視神経への良いフィードバックも期待できるかも知れませんね」
そうだとも」
星を見るのも便利でしょう」
彼は、窓を指差した。
眼鏡の男は、つられて窓を見た。
実は〈夜汽車〉の窓にも、同様の仕組みがありましてね。たとえば、あの星」
指差す窓が、ふわりと波打った。
眼鏡のレンズが、ぐわんと膨らんだ。
そう。あなたの脳波に反応して、観測できるようになるのですよ。それは、可視光のみならず……」
男の両目のレンズと膨らんできた窓がたがいに惹かれあうように近づいて、液体のように波打ち——そして、一体化した。
おお……。凄い。頭の中で命じただけで、あの惑星の表面まで拡大して見られるぞ。……もっと遠くも視ることができるかね? あの星座も……天の川も……あの薔薇色の瓦斯や塵のなかの燦めきも!」
ご随意に」
客室を出る前に、彼は、振り返る。
そこで、どくどくと波打っているのは、アールヌーボーの色玻璃めいたいびつで巨大な球体と、そのなかで、炸け、電離し、放射され、凝集していく、不可視であったはずの美しいものたち……やがて、宇宙となっていくだろう、おびただしい燦めきと、夢みるようにゆらめく瞼の影……。

僕は、彼女を〈自炊〉したいな」
β号個室の若い男が、隣席の若い女の肩に手を回したまま、「彼女のすべてをタブレットに入れて、どこにでも持ち歩ける。必要に応じて〈プリントアウト〉すればいい。だから……今以上に精度が高くて、人体に効率の良いスキャナーが欲しい。まあ……できればでいいんだけれど……非破壊型のね」
女は平然と微笑んでいる。男はますます調子に乗って、「もちろん〈ips適用のクローンアプリ〉を使って、好きな時に出力できるように、彼女のゲノム情報も詳細に——」
それなら、もうSNSにアップしてるわ」
若い女が言った。「知らなかった?」
マジで?」
だからあたし——ここにいるの」

私は、死者と交信をする機械を……」
彼の淹れた珈琲を飲みながら、Γ号車の乗客は言った。「などと、若い頃は思ったものだが……」
まさか、〈生者との交信〉用をお望みとか?」
それは先行きしだい、向こう側しだいだな。今、切実に欲しいものは、〈フェイドアウトする機械〉かな」
なんですか?」
たおやかに消す機械とでもいうのかな……。たとえば、自分にとっては、とても大切な宝物。しかし……他の人間にとってはガラクタにすぎないものがあるとする。自分がもしもいなくなったあと、子どもたちには負担になるだろう。だからといって、自分で処分することなど、とてもじゃないが、できそうもない。そういうのを、業者にひきとらせたとする。その宝物は、自分の視ていないところで、野蛮に破壊され、焼却され、粉砕されるわけだろう。想像するだけでも、たまらんよ。たとえ……それが自分が死んだあとでなされることだとしても」
……わかります」
そうかね。若い者にはわからないだろうと思っていたが、理解してくれているようで、うれしい」
老人は、珈琲を飲むと、
そこで、〈フェイドアウトする機械〉を使う。たぶん、その対象に光線をあてるかどうかするのだろうが、けっして暴力的な印象を与えない。柔らかな、虹色の祝福の光という感じが良いだろう。やがて、それは……ゆっくりと、優雅に作用する。宝物は、しだいに色を失い、半透明になって、やがて輝かしい光の中で、完全に消える。……まるで、天に召されるように。そうすれば、向こう側に送られたって気がするじゃあないか……」
なるほど……」
彼が言った。「それならば、いっそのこと〈フェイドイン〉する機能も付け加えたらいかがでしょう。もし、あなたが、その宝物にまた会いたくなったら、輝くような半透明の姿で幻出させることができるというような」
それは……ありがたい……」
乗客は言った。「それならば……自動的に時々、幻出してくれるようには、できないだろうか。たとえ、私が操作の方法を忘れてしまったとしても……たとえ……私が、かれらのことを忘れてしまったとしても……」
あなたが、かれらのことを忘れることはありませんよ」
彼は、老人に向き直った。「かれらのほうだって……同じでしょうね」
背の高い、年季の入ったテディベアたちに囲まれて、老人は幸福そうにうなづいた。かれらと同様の、輝くような、半透明の顔で微笑みながら……。

ルルちゃん! もっとお行儀良くして!」
窓の外を食い入るように見ている娘に困ったような素振りで、母親は愛想笑いをした。 本当に、久しぶりののぼりなもので」
帰路に就くのは、この母親も嬉しいのだろう。「ほら、もうじき帰ったら、デパートの最上階のレストランにいくんだから」
娘は、うれしそうに振り向いた。「レストラン!」
幼い声が、いさましいほど大きな声で叫んだ。「マカロニグラタン!」
ほら。このお兄さんの質問よ」
母親が言った。「まだこの世のなかのどこにもない、魔法のような発明よ。ルルは、何を発明して欲しい?」
ううんとね……」
ルルは考え込んでから、何を思いついたのか、急にうれしそうに言った。
宇宙とつながったエレベーター!」
それを聞いた母親は、急に恥ずかしそうな素振りで、
ルルちゃん、質問を聞いていなかったの? あなたねぇ、それって、今、私たちが乗ってる——」
——その時。
緊急停止のシグナルが鳴った。
事故の予感はなかったが、強いGを感じた。〈夜汽車〉は突然、静かに停止した。
少女は窓の外を覗いた。
スペース・デブリがぶつかりそうになったのかしら。……まさか、ネオ・カーボン・ナノチューブのケーブルに、想定外の張力がかかったわけではないわよね……」
〈夜汽車〉は、静かにぶらぶらと揺れていたが、もとどおり、〈上り〉の方向——すなわち、地球に向かって、下降しはじめた。
下に向かうのに、〈上り〉なんて、考えてみたら、本当に妙ですわね」

ルルと母親のδ客室を出て、彼は、廊下に出た。地上を走る夜汽車なら、客室車輌は横に繋がっているが、この〈夜汽車〉は、円形構造になっている。中心の廊下を通り、個室と同じ造りの、唯一搭乗口のある共有スペースに入ると、男が二人、待っていた。
「〈幽霊〉を捕まえる発明はないのかね?」
もう、捕まえたでしょう」
彼は言った。「逃げも隠れも致しません」
防犯カメラの認証システムにも引っかからない。話をした者の記憶にも、その顔は残らない。〈ラグジュアリー軌道エレベータ〉専門の窃盗犯だと思っていたが、金銭と個人情報いずれの被害もない。何が狙いだ?」
強いて言えば……着想アイディアでしょうかね」
なんだと?」
刑事は首をひねった。「だいたい、おまえさんと会ったものには、妙なことがおこる。無駄話をした者は皆、その夢物語みたいなことが実体化したかのような経験を味わうそうな……」
潜在的欲求やその解決方法に関する夢想的なシミュレーション」
彼は言った。「それらを吸いあげるためのレセプターが実在するとしたら? すなわち、遠い昔から、発明の神に仕えている存在……とでも申しましょうか……」
次の瞬間——彼は人間の姿という〈制服〉を脱ぎすてた。〈夜汽車の幽霊〉には、まだ、とうぶん、終点はなさそうだった。

エレベーター! エレベーター!」
少女は、デパートのホールを一直線に走っていく。「マカロニグラタン!」
待ちなさい、ルルちゃん!」
母親は追いつくのに、やっとだ。ようやく地上に降りてきたというのに、なんで、この娘は、また最上階へ昇りたがるのか!
エレベーター! エレベーター!」
ルルちゃん! 何度教えたらわかるの?」
母親は大きな声をあげた。「名前を間違っておぼえちゃだめでしょう!」
デパートの玄関ホールから、宇宙まで続く階段のように上昇するそれを見あげると、ルルはにっこり笑って、ステップに飛び乗った。星を駆け上がるかのように。

作者紹介

井上 雅彦

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1960年、東京生まれ。明治大学商学部卒。
1983年「よけいなものが」で星新一ショートショート・コンテスト優秀作を受賞し、デビュー。著書に『異形博覧会』『綺霊』『1001秒の恐怖映画』『四角い魔術師』などの短篇集、ショートショート集のほか、『竹馬男の犯罪』『夜の欧羅巴』などの長篇がある。
1997年より自ら企画・監修したテーマ別書き下ろしアンソロジー《異形コレクション》を刊行し、1998年に日本SF大賞特別賞を受賞。