恐怖に満ちた、明るい未来

作/ 三川 祐

手首の端末を操作し、目の前に見慣れたウィンドウを投影する。
馬鹿でっかく広がったそれのサイズを縮小しながら、メールボックスのチェックを済ませ、資料のファイルを開く。
この手の空中投影式ディスプレイは、物理的にモニターを必要としないのと、汗まみれの指でも躊躇わず使えるのが数少ない利点だ。
益体も無い事を考えつつ資料を眺める事数分。部屋のドアが開き、男が入ってきた。
知性を湛えた目が、柔らかい笑みによって細められている。好々爺と研究者を足して割った様な、初老の男性。
正に今見ている資料に載っていた、この研究所の偉い人。所長さんである。
慌てて立ち上がりながらウィンドウを閉じ、礼をしようとする私を手で制しながら
実に珍しい。古典SFマニアですか?それとも単に懐古趣味?」
と訊ねてきた。妙に嬉しそうなところを見るに、この人自身がそうなのかもしれない。
まあ、そうですね。ですがその、それ以前に」
懐からカードを取り出し、なるべく軽薄に見える様に、取り出したそれ――通称認定カード、だ――を顔の横でぴらぴらと振りながら言う。
アレルギーなんです。ナノの」

感情をエネルギーへ。
この技術が確立し、それなりに時が経つ。
実用までには、様々な問題や苦労があった様だが、それも今は昔。
当時、化石燃料はいい加減底を尽きそうだし、人類が完全な機械化でも果たさない限り、事故の危険性があるものを無事故で使いこなすのは不可能と思われた。
そこに、クリーンで安全なエネルギーの登場だ。
それは世界に広がった。
喜びで空を舞ったり、怒りで大地を穿ったりを、比喩でなしに可能とする技術。無論、生身で、ではなく、それらの感情を燃料に、飛行機や掘削機を使って、だが。
なんにせよ、エネルギー問題解決の糸口だ。
初期にはハード的な事情から、感情エネルギーを使って発電、というプロセスを必要としたが、徐々にその必要もなくなっていった。
当然、電気、電力が完全に無くなったわけではない。科学に限らず、あらゆる分野で無視できるはずがないものだ。
が、普通に生活をする分には、あまり意識されない様なものになった。
現代においても使われ続けている、家電、充電、電源、などの言葉の由来として、酔っ払ったおじさんに得意気に語られるくらいであろうか。

ひとくさり社会人らしい挨拶を交わした後、所長は語り始めた。
21世紀マニアなんですよ、僕は」
にこにこしながら所長は続ける。
今、我々が当然の様に使っている技術、その原型、雛形、萌芽。あの時代に生まれたものは、実に多いのです……記憶の電子化、可視化。量子テレポーテーション、無線式の充電に、マクスウェルの悪魔の召喚……それに、ナノマシン」

感情をエネルギーへ。
その技術を最も歓迎したグループの一つが、医療用ナノマシンの研究、開発に携わる者達だった。
生物の体内で、自己増殖をしながら諸々の仕事をこなす、極小の機械。
フィクションでは、万能の、それこそ魔法か何かの様に描かれていたりする事もあるが、実際は当然違う。エネルギー保存の法則に則り、あまり無茶な事はできないのだ。
が、その無茶を可能にしてくれそうな技術が、感情エネルギーだった。
感情がエネルギーになるというのなら、それは人の体内で働くナノマシンにとって、理想的な燃料に成りうる。
二つの技術は手に手を取り合い、分かちがたく結びつき、互いの欠点を補いながら進歩、発展を遂げていった。

アレルギーは、やはり、生まれつきですか?」
話は、自然と私の持つアレルギーへと切り替わっていった。
確認されている発症者数は、全世界で三桁に届くかどうかといったところ。目の前にすれば、話を聞きたくもなるだろう。
11歳の時に、発症しました」
それは……また……」
所長の反応は、ごく自然なものだ。
本来起こり得ない、ナノマシンに対するアレルギー。
その殆どが生まれてすぐに行われる、パッチテストで判明する。
ナノマシン適用後に発症し、その上で無事に生きているのは、極々僅かだ。
今でもあの時の苦痛を思い出すと、じわりと汗が滲み、身体の芯が冷える。
腫れ上がった手足、治まらない吐き気、頭痛。歪む景色と、震え続ける身体……。
知らぬ間に、右手が首元を押さえていた。
指先に感じる冷たい汗の感触と共に、意識が現実へと戻ってくる。
所長が心配そうに、こちらを見ていた。
……発症が遅かったせいで、癖になってしまってるんです。怖い時は首に手が行きますし、苛々していると、自然とこめかみを押さえてしまいます」
それでどうにかなるって訳じゃないんですけどね。と肩を竦めながら続ける。
所長はしばしの間、難しい顔で唸っていたが、一つ頷くと、立ち上がった。
そろそろ、感情炉の方を見に行きますか」

感情をエネルギーへ。
それは、感情のコントロールと同義だった。
その事に危機感を覚え、反対する者もいたし、今でもいる。
しかし、その声は決して大きなものではなく、まともに取り扱う者も少ない。
主に使用される感情が、恐怖だから、というのも大きい。
初期の、それこそゼブラフィッシュを用いた実験の頃から、恐怖は最も扱いやすい素材であり、それは実験に人間を用いる様になっても変わらなかった。
任意での惹起が比較的容易く、観測もしやすい。被験者もその発生と消失を自覚しやすい。
他の感情……喜びや、それに類するものは、そもそも進んで消したがる様なものではない。
そして、怒りや悲哀を意図的に発生させた場合、実験自体が成功しても、後々の人間関係に問題を生じる事が多い、という恐ろしい事実が明らかとなった。
感情は消えても、その感情を引き起こした要因までは消えないのだ。
過去の詳細な実験記録を見るにつけ、他にやり方があっただろう、と思わないでもないが、まさに、当時の被験者の多くが同じ科白を口にしていた。科学の発展に犠牲は付き物とはいえ、痛ましい事である。
ともあれ、恐怖はエネルギー革命の主役となった。

小さいですねえ」
新型の感情炉――長い正式名称があるのだが、誰もがこう呼ぶ――を見て、最初に思ったのがそれだった。
ドキュメンタリーや記録映像で見た、とにかく巨大な初期型のイメージが強いせいかもしれない。
扱う感情を絞ったおかげで、随分小型化が進んだんです。性能的にもこちらが勝ります」
恐怖時代の新たな象徴ですね」
所長は嬉しそうに頷いた。

感情をエネルギーへ。
とは言うものの、今日、任意に変換、つまりオン、オフ、が可能なのは、怒りと、恐怖のみであり、それ以外の感情の取り扱いに関しては、専門医による診断と許可、ナノマシンの調整が無い限り不可能とされている。
怒りにしても、恒常的なカットには、同様の手続きが必要になる。
そういった方面の感情コントロールは、エネルギーを得る為の技術というより、医療として、感情抑制によるケアや衝動的な犯罪や事故を防ぐ為の技術、という側面の方が強い。
が、恐怖に限っては、個人の判断で最大70%までの常時変換、抑制が認められている。
これにより、恐怖に身を竦ませ、避けられるはずだった危機により命を奪われる。という者は減った。
そこに、マニュアルでのサイン――首筋を手でおさえる――を加えると、その時感じている恐怖が、体内のナノマシンによって全て消える。
僅かばかりの恐怖を自身のエネルギーへと変換したナノマシンによって、感情炉に送られ、そこに蓄えられるのだ。
そうして蓄えられたその恐怖は、既に個人の感じた恐怖ではなく、離散的な、なんの因果も含まない、それでいて、これ以上ない程に純粋な恐怖。
その恐怖を燃やして――当然、これは詩的な表現である――得たエネルギーで、人類はかつてない程に豊かな生活を送っている。
ただ、その弊害、と言うべきか、当然の帰結として、と言うべきか。
映画、漫画、小説……どんな形にしろ、ホラーというジャンルの扱いは変わった。
感情炉に恐怖を送ると、その幾らかが使用可能なエネルギーの形で還元される。
大した量ではないが、携帯端末の稼動時間を延ばしたり、汎用バッテリーの充電、節約の為など、使い道は多い。
氾濫とでも呼べる様な勢いで、ホラー作品はその数を増やした。
私もまた、そんな氾濫の原因の一人であり、本格派、というホラー作家としては少しリアクションに困る接頭語を付けられたりする程度には、売れている。
こればかりは、ナノアレルギー――恐怖を抑制できないというハンデ――のおかげかもしれない。

見学を終え、出口までの通路を歩きながら、所長がぼそりと呟いた。
いずれ……そう遠くない未来、エネルギーに金銭を支払う事は、なくなるでしょう」
人類の夢、光熱費ゼロ、の実現ですか」
まあ、利権やら何やらもありますし、難しいでしょうけどね」
世の中は、いつでも世知辛いらしい。
……これは、オフレコでお願いできますか」
……なんでしょう?」
実は、もう、可能なんです。技術的にも、供給量的にも」
歩を止め、ゆっくりとこちらへ顔を向けながら、静かな声で、言葉が紡がれる。
感情炉に送られてくる恐怖の量は、年々増加しています。それは、技術の進歩も関係しているでしょう」
恐怖の源を創り出す者達の技術も含めて、というリップサービスを挟み、彼は続ける。
しかし、それらを加味しても、多い。我々にとっては喜ばしい事ですが……明らかに増えているんです。恐怖の、量が」
彼が浮かべた笑みは、恐怖エネルギー研究所所長、という肩書きに相応しいものだった。
自然に首筋へ向かいそうになる右手を抑えるのは、結構な苦労を必要とした。

研究所からの帰り道、見かけた公園にぶらりと入り、ベンチにどっかりと腰を下ろす。
日はまだ高く、公園で遊ぶ子供達の声が、そこかしこから聞こえてきた。
柔らかな風が、頬を撫でる。
空を見上げ、すぐに地面に視線を落とす。
……かつてあの空を満たしていた第五元素は、かの聖人が齎したローレンツ収縮、特殊相対性理論という福音が払った。
汚れた大気は、多くの研究者、技術者の努力の積み重ねにより、ゆっくりと本来の清浄さを取り戻そうとしている。
そうして今、その澄んだ大気に満ちるのは――
あの、大丈夫ですか?」
顔を上げると、一人の青年が、首に手をそえながら、私を見ていた。
昼下がりの公園で、汗を滲ませながら、青い顔でうつむく男。
なるほど、不審者か、病人である。
すまない、大丈夫、少し寝不足でね。と返すと、青年は一応の納得を見せ、去っていった。
その背を眺めながら、立ち上がる。
……人類はもう、無用な恐怖に悩まされる事はない。
夜、トイレまでの道のりに怯える子供はいなくなった。
髪を洗いながら、ぞくりと背筋を震わせる事もない。
虚構の恐怖に、徒に震える事は、ない。
人は、恐怖する事を、恐れなくなった。
いずれ、恐怖という感情自体が、過去の遺物になる日が来るのかもしれない。
例えそうなったとしても、恐怖が重要なものだという認識は保たれるだろう。けれど……。
汗ばむ手を握り締め、歯を食いしばる。
人類は、どんな困難にも立ち向かってきた。
自然災害にも、環境汚染にも、食料問題にも、人類は敢然と立ち向かい、勝利してきた。
そうして今、平和な世界と、無限のエネルギーを手にいれようとしている。
私の様な、臆病な、ナノ無し野郎の杞憂など、吹き飛ばしてくれるに違いない。
なんにせよ、ホラー作家としては歓迎すべき事だ。
人類の未来は明るい。
顔を上げ通りを眺めると、その思いは確信へと変わる。
愛を語らう恋人同士、笑顔で駆けてゆく子供達、それを見て微笑む老夫婦。
人類の未来は、明るい。
恐れるものなど、存在しないのだ。
澄んだ空気、柔らかな風、暖かな陽の光、晴れた青い空。
そんな春の空の下、誰もがそっと、首筋を押さえていたとしても、だ。

作者紹介

三川 祐

三川 祐さんの画像が表示されています。
2004年12月、光文社文庫「妖女」に「海と雨と「理解者」」が掲載され作家デビュー。その後、異形コレクションシリーズ「伯爵の血族 紅ノ章」「ひとにぎりの異形」「物語のルミナリエ」にて作品を発表。
2012年、「MAGASTORE MAGAZINE 27 星祭りショートショートの、いま」に「ただ一つの物語」を寄稿