言葉は要らない

作/ 菅 浩江

こいつは役に立ってくれるんだろうか。
木村敏也は、疑いの目で新人を眺めた。
目の前に立っているのは、髪の先がおしゃれに散らかった好青年だ。賢そうで、かわいげのある顔をしている。木村の希望通りなら、動植物や昆虫の能力を産業に利用する研究に携わっていて、高分子化学にも強いはずだ。
五十嵐カムイです。本日付けで木村さんの研究室へ配属されました。よろしくお願いします」
西洋式に手を差し出してきた。
それを木村は、二度握る。
五十嵐は、不思議な顔をしていた。
ああ、すまない。ロボットの手の動きで頭がいっぱいでね。こうやって一度目はそっと触って相手が嫌がらないことを確認し、二度目にぎゅっと力を入れる、この方式を採用しようとしているんだ」
そうですか」
若者はいたずらっぽく笑って、木村の手を二度に分けて握り返してきた。
僕は、昆虫の触角と化学センサー、カエルの筋構造に類似したエラストマーによる人工筋肉などを研究してきました。人間も化学エネルギーを利用したアクチュエータの一種ですから、ロボット製作にあたり生物から学ぶことはたいへん多いのです。即戦力になれるよう、頑張ります」
その行動は好印象だったが、同時に、軽く整髪料の香りが漂った。
駄目かもしれんな、と木村はこっそり嘆息した。

木村は長年、ヘルパーロボットの開発に取り組んできた。
彼が開発した装着型パワーアシストは、女性や老人といった力の弱い介護者に喜ばれた。ロボットの骨組みのようなものを身に着けるだけで、優に二百キログラムを持ち上げられるようになるので、寝たきり患者たちの入浴や着替えの世話が格段に楽になるのだ。
木村の名を広めたのは、選択的医療補助ロボットを完成させた時だった。それは、MRIをミニチュア化したような円筒と、蜘蛛の脚のように広がる何本もの操作腕を備えた無骨な機械で、円筒部分で血管や気管を透視しながら、従来は看護師が行っていた各種の注射、医師が行っていた動脈注射、気管への挿管抜管などを完全自動で失敗なくこなすことができるのだった。
工業ロボットのような見掛けを威圧的だと怖がる患者は多少いたし、センサー部分を剥き出しにした金属の腕にいきなり押さえつけられるのが怖いとの意見もあったが、針を肌に刺してからぐりぐりと血管を探られるよりはまし、とのことで、販路はすぐに拓けた。
この功績により、木村は今でも研究室を構えていられる。たとえ会社や世論に反抗的であっても、部下が次々に去ってしまっても。

五十嵐は、木村の想像以上に「使える奴」だった。
エラストマーをゴムと呼んでしまう世代の木村に、人工筋肉に応用できそうな種類を解説してくれたし、なんの指示もしないのに「どんな機構でも偏見なく検討した方がいいですよね」と、他のソフトアクチュエータの長所短所を洗い直し、情報を惜しみなく提供してくれた。
それで、やっぱり擬人化の方向は検討なさらないんですか? AI(人工知能)の専門家をチームに入れるとか……」
ある日、ついに五十嵐がそう訊いた。
木村は、読んでいた資料から目を上げて、慎重に言葉を選んだ。
君は、そうしたほうがいいと思うのかね? みんなが言うように、感情も表情も備えたロボットのほうが医療アシストにふさわしい、と?」
五十嵐は、さらりとした笑顔で答える。
普通はそこを期待しますよねえ。こちらの言動に反応して、適確で優しいセリフのひとつでもかけてくれたら、患者は嬉しいんじゃないか、とか。違うんですか?」
木村は資料に目を戻した。そして五十嵐を見ないまま、
私は、人間不信でね」
と、投げ捨てる。
相手がどんなににこにこしていようとも、どんなに優しい言葉をかけてくれようとも、それが真実かどうかを常に疑っている。単なるお愛想じゃないのか、適当に受け流しているんじゃないのか、ってね」
疑心暗鬼っていうやつですね」
遠回しに形容してくれた五十嵐に対し、くくく、と喉で笑いを噛み殺す。
いいんだよ。君くらいは正直になってくれても。はっきりと、あなたはひねくれてる、と言ってくれ」
いえ、そんなことは」
木村は、五十嵐の釈明を無視し、頑なに書類に視線を固定し続けながら言った。
健康な私が生身の人間を相手にするのであっても、このように不信感は拭えない。ましてや心の弱った患者と紋切り型の応答をする機械が、心を通わせるわけはない。残念ながら、今のAI技術を鑑みると、そう思わざるを得ないね。君は、私の作った選択的医療補助ロボットに対する悪評を知っているかね?」
悪評ですって? みんな助かっているじゃないですか。僕も注射が嫌じゃなくなった」
何に対しても、多少の向かい風は吹いてくるものさ。あれは特に、医療従事者からの批判が多かった。機械が狂って患者になにかしでかしたら誰が責任を取るのか、と詰め寄られた。自分たち人間が医療事故を頻発させていることを棚に上げて、だよ。データを明示して、事故の可能性は人間より低いと答えると、今度は、ロボットの手技は巧いかもしれないが愛がない、と来た。じゃあお前に愛はあるのか、と訊き返してやりたかったね」
血管を見つけられずに何度も針を刺されるより、僕はむしろ事務的にロボットがちゃっちゃっとやってくれたほうが愛情深いと思います」
みんなそう言ってくれればいいんだがね。要するに奴らは自分たちの仕事をロボットごときに取られるのが嫌なんだよ。尊敬も感謝も、自分が受け続けていたいんだ。けれどはっきりそうは伝えず、自分たちこそが患者を危険から守る正義の味方のような顔をする」
我知らず嘆息が漏れた。
私は人間を信じない。自分だって信じない。ついつい物事を都合よく解釈してしまうからね。そんな私のようなタイプの人間は、どうやったらロボットたちの受け答えや笑顔を信じられるようになるというのかね。私が作る医療アシストロボットには、おざなりな装飾を付けたくないんだよ。受け答えはできなくていい。表情なんか無駄。万全の身体モニター機能と、患者さんを安心させる手触りの肌があればいいんだ」
確かに……」五十嵐の声は重くなっていた。「僕だって、余命の少ない人に対して、どんな言葉をかけていいのか判りませんしね。笑顔で元気づけてあげるべきか、一緒に泣いてあげるべきかも判断できない。患者からすれば、なまじな反応を返されたくはないし、ましてや相手が機械ならなおさらですよね」
木村はちろんと目を上げてしまった。それくらい意外だった。
これまで配属された研究員は、血気にはやり、名声を求め、がむしゃらにロボットというものの発展に寄与しようしてきた。対人用ロボット開発の次の段階は見掛けも頭脳も人間らしさにいっそう近付くこと――そう思い込んではばからず、そんなものは要らないのだとする木村と事あるごとにぶつかり、やがて去って行った。
五十嵐は爽やかに言い放つ。
いいんじゃないですか、木村さんの考え方でも。機能の他には肌触りしか取り柄のない医療アシストロボット、僕はシンプルで好きです。これからも頑張って、もっともいい人工筋肉を探します」
木村はぽかんとしてしまった。
自分を肯定してくれる人など、もういないものだと思っていた。
呆然と開いた心のうろに、もう少しで涙が滲み出してしまいそうな気がした。
けれども。
あ、すみません。もうこんな時間ですね。お先に失礼してもいいでしょうか」
髪先を揺らして立ち上がった五十嵐が、木村を現実に引き戻してくれた。
日課が終わっているのなら、どうぞご自由に」
木村は、冷たく笑って見せてから、書類に視線を戻した。
危なく賛同のセリフに騙されるところだった。
整髪料をつける青年は、きっと研究よりも大事なものを持っている。最初からそう判っていた。判っていたとも。

人は研究のみで生くるにあらず。
これは、三年前に辞めていった部下が木村に言い置いた聖書のもじりだ。
要するに、自分はあなたのように二十四時間態勢で研究に臨み、生涯全てを捧げるつもりはない、ということなのだ。遊びたいし、休みたいし、家庭を持ちたい。それは人間として至極当たり前の欲求だ。
五十嵐も、研究所に入って十年目に結婚した。器用な奴だと木村は思う。残業は好まないが、そのせいで仕事が遅れることもあまりない。彼の「人に迷惑をかけない気の抜き方」が、木村には羨ましい。
木村は、研究以外、何も持たなかった。女性と付き合うのは面倒臭かった。両親は他界している。しかも母親のほうは孤独死させてしまっている。親しい友人もいない。休みたければ研究室に寝袋がある。
他の人は、研究ばかりやるつまらない人生だと思っているだろうが、木村にしてみれば、何も持たない自分から研究すら取り上げられてしまったら、もう人間でなくなってしまう気がするのだった。
だったら、ただひたすら生き甲斐にすがりつくしかないではないか、と木村はいつも心の中で叫んでいる。
帰れ、五十嵐。あとは私がやる」
ダメです。ICPF(イオン導電性高分子ゲル)とER(電気粘性)流体の組み合わせは、僕が言い出したことです。この検証ターンが終わるまでは帰りません」
深夜の二時、言い争いの声が研究室に響く。
お前、嫁さんがいるだろう」
います、しかし――」
二番目の子は、先月産まれたばかりだ」
ええ、でも――」
なのにもう十日も家に戻ってない。帰れ」
帰りません」
脂で額に貼り付く髪を振り払い、五十嵐は決然と木村を睨んだ。
妻は、自分も働いているだけに僕の仕事の状態をよく判っていてくれてます。いい妻です。僕は、申し訳ないから、実験の進捗を見て旅行に連れて行く約束をしています」
若い頃は平気で帰っていたくせに」
まだ、ここでやることが少なかったし、家庭を築こうとばたばたしていたからです」
以前、離婚を私のせいにした部下がいた」
それは責任転嫁です。仕事に理解のない伴侶を選び、多忙で家庭に負担をかけたことに対するフォローを怠った、その人の責任です。僕はそんなことしません」
木村は、計器に向かって俯いたまま、呟く。
母を実家で孤独死させた私が、こんなに言っても帰らないのか?」
故郷の父母はまだぴんぴんしています。万が一何かあっても、隣のおばさんが僕に連絡をくれるでしょう」
木村は苦笑を計器に落とした。
お前、幸せなんだな」
そうです。あなたのようにひねくれていないから、幸せだ、と断言できます。それに――」
妙な間を取られ、木村は五十嵐の顔を見る羽目になった。
僕が帰っても、木村さんのお母さんは生き返りません。むしろ、医療アシストロボットを成功させてお母さんのような人たちを救うことこそが懺悔になる、と自分を追い込んでいるあなたに、とことん付き合いたいと思っています」
うるさい、黙れ」
思わず叫んでいた。
僕はあなたのためを」
ほら、おためごかしが出た。信用ならん。だから言語コミュニケーションなんか、まったく信用ならないんだ。そんな情けない顔で泣き落としにかけようとしても無駄だ。母もよくそういう顔で私を引き留めようとしていたがね、はっきり言って重荷だった。今のお前もそうだ。命令する。お前は帰れ」
帰りませんよ、木村さん。僕はロボットのように素直じゃないんです」
木村は五十嵐から目を離せなかった。
彼の髪はいつの間にか毛先を踊らせない落ちついた髪型に変わっていた。彼の目尻にはいつの間にか笑い皺が深く刻まれるようになっていた。彼の実験着にはいつの間にか子供の作ったバッジが四つに増えていた。彼の目はいつの間にかかわいげよりも慈愛が勝るようになっていた。
そうなのか、と木村はしんみりする。
自分も頑なでさえなければ、こういう人生の歩み方もできたのか。
……帰ってくれ、五十嵐」
掠れた声で木村は嘆願する。
お願いだ。私をこれ以上みじめにさせないでくれ」
五十嵐は静かに頬笑んだ。
さあ、早く検証を終わらせましょう。一緒に」

ふたりの少女は、老人の車椅子をマニュアルモードにして、元気よく押した。
おじちゃん、こっち。すごいのよ」
木村は半年前に大腿骨頭を骨折し、それを契機に身体のあちこちの不具合が露見して、長期入院していた。会社を定年で追い出された後も、五十嵐が掻き集めた開発基金で自前の実験室を構えて細々と研究を続けていたが、そろそろ潮時なのだろう。
老人の心中を察することなく、五十嵐の娘たちはおおいにはしゃいでいた。
早く見て。パパが作ったロボット、すっごく優しいのよ」
朝日の射し込む玄関ホールに、それはのっそりと立っていた。設計書を五十嵐が変更していないなら、高さ一五〇センチメートル。球形の頭部に描かれた、数学のなぜならば記号が顔。腕先は作業内容によって変形するが、今は通常のぷっくりとしたミトン型だった。
ロボット横には、五十嵐夫妻が立っていた。ふたりとも穏やかな朝の光の中で頬笑んでいる。
とりあえず、三体。ここと、静岡と、大阪。なにも問題がなければ三ヶ月後には量産計画に入ります」
どうだとばかりに五十嵐が胸を張った。
家庭も仕事も名誉も、すべてを手中にした満ち足りた顔だった。
よくやったな」と、木村は嗄れた声をようやく絞り出した。「こいつは、とても柔らかそうな手をしている」
患者さんたちが喜んでくれるといいのですが。さあ、握手をしてみてください」
染みだらけの自分の手をおずおずと差し出すと、ロボットはゆるやかな動作で腕を上げた。
きゅ……ぎゅっ。
これは」
その二段階圧迫は、かつて木村が導入を決めた確認動作。もうこんな予備動作は不必要なはずなのに。時代が進んで、ロボットは、握手をする前に、相手が自分をどう思っているかをカメラを通して表情解析しているはずだ。
唖然として見上げる車椅子の木村に、五十嵐は照れた口調。
やっぱりこれが安心するみたいなんですよ、患者の皆さんは。ちょっと触ってきて、改めて力を込める。そうすると、こいつは気遣ってくれているという証にもなり、言葉で安全を保証するよりも信頼感が増すんです」
……そうか」
老人は全身の力が抜けるのを感じた。
もうやるべきことはなくなった。もとより何も持ってはいない。人間としての自分の役目は終わったのだ。
木村さん」
五十嵐はきわめて静かに口を開いた。
ご指導いただき、ありがとうございます。僕はずいぶん生意気だったと思います。僕は周囲に恵まれています。そして、それを自覚しています。たまたま幸運だったんです。でも、その幸せを口にすることであなたにも幸せを分けてあげられるような気がして、よけいに生意気になっていたと思います。そんな僕に愛想をつかさず、ここまで部下として扱ってくださったことは、ほんとうに感謝しています。あなたが僕をこのロボットほどに信用してくださっているかどうかは、実のところ判りません。ですから」
ロボットの柔らかな背部を、五十嵐はそっと押した。
滑るようにロボットが動き、不意に木村は柔らかいもので押し包まれた。
ふわふわとした、軽い感触の、心地よく、あたたかい、ちょうどいい圧迫。
ロボットはこの上もなく優しい肌触りで、木村を抱きしめていた。
こいつが接触セラピーを施す最初の相手は、木村さん、と決めていました。あなたが心血を注いできたこいつなら、あなたを少しは幸せな気分にできると思って」
遠い昔、母親に抱きしめられた感触を思い出す。
遠い昔、野原に俯せに寝そべった大いなる安らぎを思い出す。
遠い昔、自分で自分の身体を抱きしめた寂しい夜が溶けていく。
よく……やったな」
木村はもう一度言った。
私にも間に合ってくれたというわけか」
その言い方、僕は嫌いです」
五十嵐は笑い飛ばしながらもきっぱりと告げる。
間に合わせたつもりはありません。ここから始まるんです」
始まる……」
鸚鵡返しの声が聞こえなかったのか、ふたりの少女がさざめき笑った。
今日から毎週のお見舞いが始まるの」
来週また来るからね」
それまでロボット君のお名前、付けておいてね」
判った? おじちゃん」
ねえ、判った?」
ああ、名前なんか考えつかないよ、と木村は答えたかった。
けれど、言葉などひとかけらも出てこなかった。
あたたかく柔らかく心地よい。よくやった。本当によくやった。
老人はただ陶然として、自分の人生の肌触りを楽しみ始めた。

作者紹介

菅 浩江

1963年京都市生まれ。小説家。主にSF分野。
81年、短編「ブルー・フライト」で高校生デビュー。電子オルガンプレイヤーを経て、89年、長篇『ゆらぎの森のシエラ』上梓。星雲賞、日本推理作家協会賞、他、受賞歴多数。文部科学省教科用図書検定調査審議会臨時委員。日本舞踊正派若柳流名取。
最近の作品に、化粧文化SF『誰に見しょとて』(早川書房)、バブル期エッセイの復刻(Kindle)『アンパン的革命』、『放課後のプレアデス みなとの星宙(ほしぞら)』などがある。