2003年ごろから2019年まで携わったベンチャー企業との連携から新事業の立ち上げは印象深い経験でした。2003年に技術開発本部でのローテーションで企画部門に所属してCorporate Venturingの仕事に携わりました。社内で技術開発を行うだけでなく、海外のベンチャー企業の技術も社内の製品に活用するためのプロジェクトでした。その時にアメリカのベンチャー企業を回って、ベンチャーのCEOやCTOの方たちとお話しさせていただきました。彼らはCEOも専門職ととらえていること、同じCEOでも小さな会社の立ち上げを専門にしていて、ある程度大きくなったので別の小さなベンチャーに入り直したという方がいたりと、当時は驚くことだらけでした。
2005年に長女を出産して産休に入る前に、技術開発本部から経営企画部に異動になり、「新事業を立ち上げなさい」とミッションが変わったんです。その後、次女を出産して、2009年4月に職場復帰したら、上場前のA123 Systemsというアメリカのベンチャー企業に出資するので送金をしなければならない、契約業務もあるんだけど、「とにかくやって!」みたいな渦中に放り込まれました。4月に復帰して、ゴールデンウィークまでに送金を完了しないといけない状況でした。
通常は復帰した当日には、久しぶりにパソコン立ち上げて、書類を記入してとか、事務手続きをします。それらをする暇もなく、復帰初日から、ガーッと仕事をやり始めて、「わぁー」「なんじゃこりゃー」と叫びたいようなことになって。
「復帰した日に手続きしない人は初めてです」と人事の担当者にも言われました。育児休暇を取っている時は、こんなに長い間休んで仕事に戻って、できるのかしらと不安に思っていたのに、「プチッ」とモードが切り替わって「できるもんだな」という感覚になったことも印象に残っています。
その後、この連携していたベンチャー企業が倒産したりと紆余曲折あって、連携でなく、自分たちで事業を立ち上げることになりました。その仕事はのちにIHI Terrasun Solutionsという会社になりました。とにかく日本でやるのとは違って、約束してたこと、こうなりますって言ってたことが、ちゃぶ台返しに遭うことが多々あって。ある年に全米ナンバー2の太陽光発電事業者が、「これだけのシステムを発注する。パイプラインもこんなにある」と言ってきてますと。まだ我々は事業の立ち上げ段階だったので、たくさんのお客さまに対応すると開発費用もかさみますし、一定のお客さまが同じものをたくさん発注してくれる方に寄り添った方が効率的なわけです。全米ナンバー2だし、大丈夫だろう。来年度の売上はこれくらいだねと言ってたら、その会社がいきなりなくなったみたいなことが起こるんです。やるぞと言っていた案件がなくなり、これはもう無理だと思っていた案件が取れたり。事業予測を出すのですが、「こうなるはずでした。だけど違いました」みたいなことがたくさん起こって、それにどう対処するかの連続でした。
エネルギー貯蔵システム自体が新たな製品だったので、マーケットが育っている状況でした。他社も含めてアメリカのチームの人たちは、「右肩上がりなんだから、どんどんインベストメントするしかない」と思っているのに、日本の私たちだけが世知辛いとなって。「他社に比べて、なんでこんなに財布のひもが固いのよ」という空気感の職場と本社との間で、バランスを取りながら理解してもらうというのは非常に困難でした。
そして、最初は3人で始めた会社が、現地採用で50人くらいに増えていったんです。雇ったのはアメリカ人だけじゃなくて、かなり多国籍でした。アメリカ在住のパキスタン人、カナダ人、メキシコ人、韓国の方、インドの方もいたし、ダイバーシティが高くて。そこは強みだったと思います。そのことで大きな気づき、学びもありました、例えば、ある社員の宗教上の理由で、出張の時は、いついつまでに移動は終えなければいけないとか、飛行機の中の食事は食べられないので自分の食物は全部持って行くなどを見て、「すごく大変だな」って私は思っていたのですが、でも、それらは神様との約束ですと。だから、誰も「何それ...」って否定的に見るようなことはなくて。神様との約束を守ってもらうのは当然だよねと。だから、彼らが移動するのに何時までにこうしなければいけない、第一の大事なことで守らなきゃいけないというのが当たり前になったんです。ダイバーシティー軍団ゆえに、「え?そこ違うんだ」ということも多く、自分の価値観もどんどん変わっていって、そのことが楽しくなっていきました。
当時、予想もしていないトラブルがあった時は「もうだめだー。死にそう。」とか思うわけですよ。でも死なないんですよね。自分も含めて、日本のIHIの人たちに多少足りないかなと思ったのが、「失敗してなんぼ」で、その後に「もう1回やるぞ!」っていう文化でした。アメリカの社員たちは「失敗して申し訳ございません」じゃなくて、「Unfortunately」って言うんです。しかし、次はこれをクリアしようという不屈の気持ちが、明るい感じで社内には満ちていました。日本的な反省することが良い部分もあるので、全部が悪いわけじゃないけれども、褒め合う文化、失敗を許容して次に生かす文化っていうのは学ぶべきだと思い、その後は自分もそういうことを意識してきました。根底から価値観が変わって、違っている物事に対しての受容性が広がったので、特に印象に残っている仕事です。