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大難で生まれた日本人と台湾人との一体感 資源・エネルギー・環境事業領域長 武田孝治
資源・エネルギー・環境事業領域長武田孝治
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大難で生まれた日本人と台湾人との一体感

一番思い出に残っているのは、2016年、台湾・大林(ターリン)火力発電所の仕事です。経済成長が著しい台湾の電力需要を賄うために建設された台湾最大級の火力発電所で、IHIは80万kW級のボイラを2基納入。

しかし、ボイラの確認試験で、数千の不適合(不良)が見つかったのです。これだけの数の不適合が見つかるのは前代未聞です。急遽、補修チームが組まれ、私はそのリーダーとして現地へ行きました。

原因は、インドネシアの関係会社が行った溶接でした。その技術が悪く、我々の管理体制も悪かったのです。私たちは9ヶ月間の猶予をもらい、何千とある補修箇所をすべて溶接し直すことにしました。

一方で、台湾の現場には、「台湾人以外が入ってはいけない」というルールがありました。日本の腕の良い溶接士がやれば、間に合う内容でしたが、現地の溶接士の腕では間に合いそうもありません。

そこで、日本から建設・製造の現場部隊に来てもらい、現地の溶接士に技能指導を何度も行いました。その成果もあり、なんとか期間内にすべての補修を完了できました。

そして、水圧試験の日。全部のボイラーを繋げて、問題なく繋がっているか、漏れはないか、水を流して圧力をかけていきます。台湾の電力会社の重役たちも見守る中、私は事務所で指揮を取っていました。

最初は順調でしたが、途中から圧力が上がらなくなりました。それどころか、圧力が下がっていったのです。何が起こっているのか...。大混乱となり、派遣した調査部隊からは、「ここから漏れてる」「あそこから漏れてる」と次々に報告が上がってきて、その数が100箇所以上。そのすべてが、今回補修した以外の場所でした。

頭が真っ白になりました。その後1日、自分が何を喋ったか、全く覚えていません。

現場の我々では原因が分からず、手に負えない状況となり、日本から技術開発本部の部長クラスの人たちが現場に来てくれました。腐食のプロフェッショナルである彼らは、次々に原因を突き止めました。仮説を立て、検証する原因調査のスキルは見事なもので、IHIの人材の層の厚さを実感しました。

調査で分かったのは、意外な原因でした。

補修をしている9ヶ月間、ボイラは海辺に保管されていたので、台風や潮風で潮を浴びたステンレスの腐食が進み、いろんな所に穴が開いていたのです。そして、修復が必要な所は約2万カ所...。

この発電所は台湾にとって国をあげてのプロジェクトだったので、現地の新聞やニュースで大々的に取り上げられ、私たちにはプレッシャーが伸し掛かりました。

そんな重苦しい現場に、当時社長だった満岡さん(現会長)が現れて、台湾の電力会社の会長と社長に直々に説明をしてくれたのです。日本の豊洲本社にいる技術者のメンバーも電話会議などでサポートしてくれ、IHIが一体となって私たちを支えてくれました。

私たち現場も、台湾の電力会社の副社長と交渉し、日本から溶接士のスペシャリストたちを40人連れて来る許可をもらうなど、再延長してもらった工期に間に合わせるために奔走しました。

しかし、事はそう上手くは運びません。台湾の溶接士と日本の溶接士が喧嘩を始めたのです。台湾側からすると「俺たちでもできるのに、なんで日本人を呼ぶんだ!」と。技術者のプライドがありますから、無理もありません。

私たちは、溶接のデモンストレーションや、技術レベルアップのミーティング、夜の懇親会、日曜のBBQを通して、信頼関係を築く努力を重ねました。すると徐々に、日本の溶接士と台湾の溶接士の間に、良い意味での競争心やライバル心が芽生え始め、溶接のスピードや美しさを競い合うようになったのです。そして、半年後には2万カ所すべての補修作業を終え、水圧試験も一発でクリア。

この経験を振り返って思うことは、人間がやる作業は、最後は、人間がどこまで頑張れるかに掛かっているということ。そして、トップ同士が意思疎通を図り、日本の溶接士、台湾の溶接士が心をひとつにして協働し、それを支えてくれた人たちも含めた全員が一体となれたからこそ、この大難を乗り越えられたと実感しています。

入社当時の武田領域長

Q.10年後のIHIグループは世の中でどんな存在であって欲しいですか?

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