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死に物狂いで走り回った半年間 IHI代表取締役社長 井手博
IHI代表取締役社長井手博
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一番記憶に残っている仕事

死に物狂いで走り回った半年間

30歳になったばかりの頃、フィリピンで発電プラントの入札がありました。営業として担当したのですが、見積り競合で最下位の惨敗。IHIの製品に対する評価は悪くなかったのですが、協力メーカーの機械に対する評価が、値段が高く性能も良くないというのが理由でした。

しかし、この発注主は、当時のIHIにとって最も重要なお客様。これまでの先輩たちが築き上げてきた関係もあって、そう簡単に引き下がるわけにはいきません。

私は、世界中のメーカーを回っては、プランを代えて何度も提案をしました。しかし、そのすべてが拒絶されました。もう打つ手が見つかりませんでした。

半年が経った頃、ついに日本への帰国を命じられました。帰国する飛行機の中で、どうしても諦めきれなかった私は「他にどこか協力してくれる会社はないだろうか」と考え続けました。そして、成田に着く直前に、ある会社を思いつきました。それは日本のメーカーでした。

上司に電話をして、「もう1カ所だけ行かせて欲しい」と頼み込んで、空港に着いたその足で、都内のその会社へアポイントもなしで行って、必死に説明しました。

すると、対応してくれた課長さんが、「そういう仕事を探していた」「ぜひ頑張りたい」と言ってくれたのです。涙が出るほど感謝しました。

そして、その企業とタッグを組み、再びフィリピンへ行って提案して、ついに受注を勝ち取ることができたのです。

しかし、その後の社内調整が難航します。「(タッグを組んだ)その企業との取引実績がないから」と本社の上層部、設計事業部から反対をされたのです。

当時、営業は大手町にあって、豊洲にあった設計事業部に出向いて、窓口の方に夜まで説得を試みましたが、「俺は、もう帰る。絶対にYESとは言わない。ただ、俺の上司がYESと言ったら、その時は目をつぶってハンコを押してやる」と言われました。

翌朝、その上司のもとへ行き、粘り強く説明をしました。呆れられたのか、いろいろと言われましたが、最終的にはハンコを押してくれて、なんとか正式受注に至りました。
 
後にも先にも、これほど死に物狂いで世界中を走り回って、その後もぐちゃぐちゃになりながら、成し遂げることができた仕事はありません。

この経験が「諦めずに踏ん張れば、最後にはなんとかなる」ということを私に教えてくれました。

この時に私は決心しました。「明確なチャンスや選択肢がある限り、1mmでも可能性が見えていれば、ぜったいに諦めない」と。

入社当時の井手社長 入社当時の井手社長

Q.10年後のIHIグループは世の中でどんな存在であって欲しいですか?

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