デザイン思考と本当のユーザーを意識した技術開発
東北芸術工科大学 教授 酒井 聡
問題解決を促す「デザイン思考」
新たな製品を開発する際にデザイン思考を筆頭に〇〇思考というキーワードを用いることが増えた.日本だと,カタカナ表記の外来語であるためかは定かではないが,デザインというと感性的に捉えがちであるが,デザインを理論的に用いることは実はさほど新しいことではない.1960年代にはアメリカの哲学者ハーバート・サイモンがその著書『システムの科学 (The Sciences of the Artificial) 』で,デザインを科学的思考方法として記している.その後,1980年代には「デザイン思考」という言葉がピーター・ロウの『デザインの思考過程 (Design Thinking) 』で記述されている.しかし,筆者のようなデザイン教育者であっても,その言葉に度々触れるようになったのは2000年代になってからである.その後しばらくしてから,日本においてもデザイン思考に対する興味関心が急激に高まり,さまざまなワークショップなどが行われるようになった.今では,デザインにかかわる者だけでなく,ビジネスや教育などさまざまな分野で技術や製品開発の場面で用いられるようになった.
UXから紐解(ひもと)くユーザーの在り方
デザイン思考はデザイナーがデザインを行う過程を模して問題解決を図っていく (第1図).デザイナーの思考として常にあるのが,ユーザーを中心に考えることである.ユーザーの立場に立って,何を欲し,何を解決し,何がかなえられれば,満足感を得られるのか,新しい価値を感じられるのかを考えることが重要である.特に近年,重要視されているのは,UX (ユーザー・エクスペリエンス) と言われるユーザーの体験価値に目を向けることである.それは,モノ中心に技術開発などを行うのではなく,そのモノを使う人間を中心に据え,その欲求に応えていく人間中心設計とも似ている.UXと人間中心設計の違いは,人間中心設計がユーザーの観点でモノを作るための仕組みであるのに対して,UXは体験そのものを重視するといったところにある.その体験を中心に捉えて考えていくと,モノを作る・提供する側と,消費する側という単純なBtoC (Business to Consumer) の2者の関係 (第2図) だけではない事象が多数生じてくる.
例えば,映画ポスターはグラフィックデザイナーが作成し,配給会社が広告に用いる.この場合,クライアントは配給会社,ユーザーも同様と捉えがちである.しかし,本当のユーザーは映画を見たいと思う鑑賞者だ.映画という体験を売るためにはグラフィックデザイナーは配給会社の要求に応えるだけでは十分ではなく,鑑賞者に興味関心を抱かせることこそが本来の役割である.映画のように体験を商材として用いる場合,UXを考えることは比較的容易であるが,UXにおいて重要視されるのは体験が基となっているのではなく技術やモノがどのような体験を生み出せるかを検討することである.そのためユーザーを多視点で捉える必要がある.
それは,ユーザー = 利用者を含めた消費者と捉えるだけでなく,デザインの対象となる技術やモノがかかわる当事者全体をユーザーと捉えるということでもある.特にBtoB (Business to Business) を主体とするモノづくりは,ユーザーが不明瞭になりがちである.企業向けコピー機を例に挙げると,コピー機のユーザーはもちろん,コピー機の利用者であるが,企業内で用いられるような機器はその管理者が存在する.管理者がいかに用紙やインクなどの消耗品を管理しやすいかといった点も使い勝手に影響してくる.扱いが難しい機器では管理者の負担増となる.このように管理者もユーザーの一員であるし,さらにはメンテナンス・修理業者もその一員であると言える.メンテナンスを担当する者が修理しやすい構造とすれば,復旧も早く無駄も少ない.コピー機を例にとっても多くの当事者があり,それらの要求に応える必要がある.その方法の一つとして,わかりやすいインタフェースを用いることが挙げられる.UI (ユーザー・インタフェース) という言葉自体は珍しいものではなく,人々の生活に欠かせない要素であるが,先のコピー機のようにユーザーの捉え方を多視点で捉えるとコピーするインタフェースだけが重要ではなく,管理者が給紙しやすく,インク交換がしやすいか,またその方法がわかりやすいかといった面,メンテナンス・修理業者が作業しやすく,修理箇所を特定しやすいなど人とモノがかかわる全ての接点をインタフェースと捉える必要がある.
話題がそれるが,このIHI技報も,IHIグループの技術とその利用者をつなぐインタフェースと捉えるができる.そのなかで真のユーザーのことを考えると句読点を「, (カンマ) 」「. (ピリオド) 」から一般的な「、(てん) 」「。(まる) 」としたほうが読みやすいのではないか.技術者目線で言えば先述の「, 」「. 」がなじみ深く,1952 (昭和27) 年に国語審議会 (現文化審議会国語分科会) が決定した「公用文作成の要領」にも当てはまるとも言える (公用文は正しくは「,(カンマ) 」「。(まる) 」.ただし,2021年3月に「、(てん) 」「。(まる) 」に向けて見直しの検討がはじまった) が,技術者だけでなく広く技術を公開するのであれば,人々が読みやすく判別しやすい句読点とされることを進言したい.句読点は,本来日本には用いる文化のないものである.誰にでも読みやすいようにと配慮し,明治時代に使われるようになったものである.そのため,現代においても表彰状などは敬意を表すものとして句読点は存在しない.たかが句読点と思われがちだが,このような普段使う文章においても相手を意識するかしないかでは大きく受け手の印象は変わる.
IHIグループにとってユーザーとは誰か
社会基盤となるインフラを商材としている総合重工業メーカーであるIHIグループの場合、当事者たるユーザーとは誰なのか。
瀬戸大橋、明石海峡大橋などの橋梁であれば、橋を渡る人、管理する人、修理する人と捉えることができる。工場やプラントなどで用いるIoT機器、物流運搬設備、さらにはロケット事業、発電機器となるとユーザーとは誰なのかが不明瞭になりがちで、そのユーザーが望む体験価値とは何なのかを想像することは容易ではない。IHIグループの商材のほぼ全てが単独で完結するものではなく協働して作り上げるものであることから当事者としてユーザーを捉える必要がある。当事者というのも、モノづくりの現場では一般的ではなく、一体誰のことを指すのかが不明瞭であるかもしれない。この場合、デザインや製品開発の流れ (第3図) に伴い誰がそこにかかわるのかを検討する必要がある。
発注者側の「川上」から消費者側の「川下」までどのようにかかわるのかを明らかにすることで、本来求められている価値や技術仕様などが明らかになる。恥ずかしながら、筆者もデザイナーやデザインの教育者の立場でありながら、研究者として新しいものを考えようとするとどうしても過剰なスペックな仕様を検討してしまいがちである。それは何かあった場合でもどうにか対応ができるだろうという、保険に保険をかけた状態でコストが無駄にかかっている場合がある。これを適正にするだけでも、本来のユーザーである「川下」には製品やサービスが手に届きやすくなる。もちろん、「川上」にとっても過度ではない仕様のほうが良いことは自明である。このように技術開発やものづくりの現場では発注者側と消費者側のいずれも見えていない場合が多くある。このユーザーが見えていない状態を脱するだけで新たな価値の創出は容易になる。
IHI内でも、筆者が在籍する東北芸術工科大学 (芸工大) とのビジネスパートナーシップの一環でデザイン思考を用いたワークショップを複数回開催し、技術の新たなユーザーを見いだす試みがなされている (第4図、第5図) 。
デザイン思考の特徴の一つとして、問題解決を起点とすることで、より良い将来目標を立てられることが挙げられる。具体的には、ユーザーを想定しその視点に共感することで発散思考的に課題発見をし、それらを解決するアイデアを発想・創造していくことでもともと検討されていた目標だけではない多様性を生み出す。また、そのアイデアに対して試作と検証を行うことで多数あるアイデアを収束させふさわしい問題解決方法を現実化する。これはPlan (計画) → Do (実行) → Check (評価) → Act (改善) の4段階を繰り返すPDCAサイクル (第6図) にも似ているが、PDCAサイクルが課題や問題が明らかなものに対していかに解決するのかを考えるのに対し、デザイン思考は課題を定義するところから考えはじめることが異なる。また、PDCAサイクルが段階を円環させるのに対し、デザイン思考はさまざまな段階をふり返ることで柔軟に問題解決を検討することができる。このワークショップは、本当のユーザーとは誰なのかを学生とともに気づき、製品としての姿にすばやく形にすることで、製品が生み出す価値の有用性の可能性を探る手法を試行する場として設定をした。
具体的に2018年度の取組みを紹介する。ワークショップのテーマは『芸工大生と考える新しいIHI ~真のお客さまを探せ!お客さまがワクワク、ニコニコするためには?~ 』であった。真のお客さまというのが、本来のユーザーということになる。IHIグループの技術シーズを基に、東北の抱える地域課題などにも目を向け、学生と社員が対等な立場でグループを成し、3か月の期間に3回のワークショップを行い、製品提案をした。初回では、芸工大、IHIグループの文化を含めたバックグラウンドの相互理解を図り、IHIグループの技術紹介を受けた。2回目は、初回で紹介いただいた技術シーズを基にどのようなお客さま (= ユーザー) にその技術を届けたいのかをストーリーテリングの手法を用い、具体的な使用シーンなどを想定しながら、ユーザーのニーズに対して技術や機能を複合するなどして提案内容を検討した。3回目は成果発表としており、2回目から3回目の間で提案する製品を簡易模型やCGなどでプロトタイプし、使用シーンと製品が生み出すUXなどがわかる映像を制作した。
このワークショップの成果として、特に重要視したのは、以下の3点である。
- 新規で技術開発するのではなく、IHIグループが所有する既存技術の転用や応用を考える。
- 当事者として熟知している東北の地域課題に目を向ける (本校の学生は東北出身が多く、地元でのインタビューで事実関係も明確にしやすい) 。
- モノの魅力・価値だけでなく、モノから生まれるUXを大切にする。
提案された製品群は、学生たちの手によって、IHIグループの技術と機能を活かした外観をまとい、東北ならではの地域課題を解決する機能が足され、UXを生み出すためのサービスを伴うものとしてまとめられた (第7図) 。これは学生と社員とが信頼関係を築き、真のパートナーとして相互理解を深めたからこそ成し得た協働である。
これからのデザインと技術開発の在り方
本稿で、当事者たるユーザーを多視点で捉えることが肝要であり、UXを考えデザインすることで、新たなユーザーを見いだすことができ、技術開発においてデザインは有用であることを述べてきた。国内外で、デザインと技術開発の在り方の重要性を認識し、社内にデザイン思考を実践するデザイン組織 (センタあるいは部署) をもつ企業が増えている。さらには、Apple Inc.、IBM (International Business Machines Corporation) を筆頭に、CDO (Chief Design Officer) を設けるところも増えている。国内ではソニーグループ株式会社、パナソニック株式会社がデザイン担当の執行役員を設けている。今後、真のユーザーを発見し、観察、共感する能力にたけたデザイナーの力を活用してデザイン経営や企業変革に挑む会社は増えていくであろう。
情報デザインの専門家である上平崇仁教授 (専修大学) はその著書『コ・デザイン― デザインすることをみんなの手に』において、“人びとをただつかう「ユーザー」ではなく、デザインの「パートナー」としてとらえます”と述べている。社内外の多くの方にIHIグループのパートナーとして、当事者たるユーザーとし、新しい価値創出にかかわり、デザインの有用性に接していただければ本望である。
執筆者プロフィール
酒井 聡
東北芸術工科大学 大学院芸術工学専攻長 (兼) デザイン工学専攻長 プロダクトデザイン学科 学科長 教授/博士 (芸術工学)
SAKAI DESIGN STUDIO代表
東北芸術工科大学大学院芸術工学研究科博士課程、仙台高等専門学校講師を経て、現在、東北芸術工科大学デザイン工学部プロダクトデザイン学科教授。東北芸術工科大学大学院博士課程にて、「音、振動、光の共調による感性表現の研究」を研究テーマに創作研究活動を行った。その知見から、現在では新しいデジタルサイネージシステムの研究開発や自動車内装部品のインタフェース研究などを手がけている。代表作として「Addressable Screen project “Magical Card” (大阪科学技術館) 」など。