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土光氏の言葉に触れ,いまを考える
―愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ

IHI技報編集事務局   

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『IHI技報』の前身の『石川島技報』が創刊されたのは1938 (昭和13) 年.その後1961年に『播磨造船技報』が統合されて『石川島播磨技報』となり,2007年に『IHI技報』に改称された.技報にはこれまでの技術の変遷が凝縮されているが,そこには先人たちの思いも詰まっている.企業人として社会のため,会社のために貢献するにはどうすべきなのか,戦中・戦後はなすすべもないということもあっただろう.それでも前を向いて進んでいった人たちの言葉は,いまを生きる我々にも響いてくる.

1945年8月15日に日本は終戦を迎えた.焼野原から国を建て直す.それは想像を絶する困難な道のりだったのではないか.鉱工業指数は,1940年が100.2であったのに対して,1945年は44.6,さらに1946年には18.0まで落ち込んでいたという.この期間に,産業の中心は繊維などの軽工業から重化学工業へと変わっていく.

日本は戦後,連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の占領下に置かれ,その指導のもと,国内の民主化が進められた.そして,日本の軍国主義を支えたとして財閥は解体され,そのほかに農地改革や労働改革などが行われた.1951年,日本はまだGHQの占領下にあり,戦後復興期といえるときだった.『石川島技報』9巻27号に書かれた「重工業と研究」という記事がある.石川島重工業株式会社の社長 (当時) だった土光敏夫氏によるものだ.

敗戦による虚脱状態を漸く脱した日本重工業は,輝かしい再建への途を歩んでいる.

1950年6月に朝鮮戦争が始まり,それに伴いアメリカ軍は日本に物資やサービスを大量に発注した.いわゆる「朝鮮特需」により日本経済は戦後の不況から脱することになる.しかしながら,以下のような危機感を伝える.

これは一時的現象であつて永続性は期待できないであろう.…… 数年後には必ず来る本格的な世界競争時代を迎えて,品質においても,価格においても競争に充分にたえ得るだけの基礎をきずいておかなければならない.

また,戦後アメリカを視察した人々の言によれば,アメリカと日本の技術レベル,事業規模の格差は大きく,戦争による日本の重工業の空白時代の影響は極めて大きいと土光氏は悔しさをにじませつつも前進を促す.

これは今さらいかんともなし難いことであるが,要は今後我々が如何に現在の状態から,この損失を取り戻し,彼我の差を縮めるかということであつて,その方法については世上種々論ぜられているところである.

政府は輸出を増やして外貨を稼ぐよう産業界に働きかけた.資源のない日本では,外貨を稼ぐ輸出産業が必要だった.

日本の重工業は材料をはじめ各部門において極めて悪条件のもとにあるが,これに打ち克つて将来の発展を実現し,大量の輸出を確保して,経済の自立を計ることはわれわれの使命である.

戦後,繊維産業は綿紡績設備の再建を進め,アメリカからの輸入綿を確保したことで,いち早く復興を遂げて外貨獲得に大きく貢献した.これについては,他産業にも目を向ける必要性を述べている.

我国繊維工業の発展過程をみるとき,原料市場ともに不利な条件のもとで種々研究を行い,戦前にはあのような素晴らしい成果をあげたし,また戦後においては今日の如き見事な復興をなしとげている.我々は経済上,技術上大いにこれを参考とすべきである.

重工業においても研究を進めることが急務で,最も重要であると言及し,さらには基礎研究に主眼を置く大学などの研究機関と応用研究を主体とする企業の研究機関との関係改善と産学連携の必要性を論じている.また,アメリカよりも条件の相似するヨーロッパ諸国の例を調査した方がいいと言及する.

現在日本のおかれている状態よりみて重工業の確実にして,急速な進歩発展がいかに緊急であるかを真剣に考えるならば,そこに我々関係者の熱情が燃え上がるべきである.

この記事から,広い視野を持って物事を見て,現状をしっかりと分析して足元を固めながら着実に歩んでいく土光氏の姿勢を読み取ることができる.

いまは先の見えない時代とよく言われるが,戦後を脱し,高度経済成長期を経て,バブルの崩壊,阪神淡路大震災,リーマンショック,東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故,そしていま新型コロナウイルス感染拡大と,世の中はいっそう複雑さを増しているようにもみえる.だが,結局それら一つひとつに向き合って乗り越えなければならない.より困難な時代を乗り越えてきた先人たちの言葉は,いまを生きる我々のヒントとなり後押しをしてくれるだろう.

今我々は現在までの結果の大小,巧拙を論ずべきではなく,かかる認識と熱意こそが今後日本重工業の将来を左右する最も大きな要素であることを確信し,現在許された条件の最大限において,自らの基礎を一歩一歩築いていくべきであると考える.

  • 鉱工業指数とは,日本全体の鉱工業製品を生産する事業所における,生産・出荷・在庫に関連する諸活動を指数化した統計.



このほかにも,前ページの記事と同時代に刊行された技報には技術開発,研究の必要性を述べている記事が多くみられる.土光氏以外にも各専門家がそれぞれの立場から語った貴重な意見が記されているので,以下に紹介する.

重化学工業の発展と輸出の増進,これが新生日本の指標と考える.

「当社の技術」收野 正士 (取締役)
『石川島技報』10巻30号 1953年4月

以下のサイトで『石川島技報』,『石川島播磨技報』をご覧になることができます.

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https://www.ihi.co.jp/ihi/technology/review_library/review/index.html