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「世界を緻密に観察する力」から生まれる内発的発想が社会と交わる接点を見つける

現代美術作家  野村 在

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アメリカを拠点に活動する現代美術作家の野村在さんとIHIは2018年からコラボレーションを行っています.
2期目となった野村さんが講師をするアート思考プログラムには,アーティストから「いまだ誰もやっていないことを形にする」ことへのヒントを得ようと受講者が集まっています.そして,これまでとは全く違う角度からの発想ができるようになったなどの声があがっています.
アート界の風をIHIに吹き込む,野村さんのインタビューをお届けします.

野村 在 NOMURA Zai
1979年生まれ.2009年ロンドン大学ゴールドスミス校・MFA修了,13年に武蔵野美術大学博士課程を修了.主な展示に,「Echoes, Ulterior Gallery, NY」 (2021) ,「ハンブルグ・アーティストレジデンス」 (2016) ,「あいちトリエンナーレ」 (2016) ,「Continuous Temporality vol. 2」 (COEXIST-Tokyo Gallery, 2015) などがある.

魔法界と人間界との橋渡しをする

「最初にIHIとのコラボレーションの話が来たとき,断るつもりでした」と,現代美術作家の野村在さんは言う.最初の出会いは2018年,IHI横浜事業所のIgnition Base (通称i-Base) 建設計画が進行中のときだった.

野村さん自身,アーティスト活動のなかで,芸術家と企業との連携の例を見てきたが,多くの場合お互いがお互いを消費するような表面的な関係性に思え,それはやりたくないと考えていた.そこで,「作品づくりには絶対に口を出してほしくない」という条件を出したところ,意外にもすんなりと受け入れられてしまったので断れなくなった.そして,作業を始めるためにIHIの歴史を調べ,社内の人たちと対話を重ねていくなかで,気付いた.

「アーティストはいわば魔法界に住んでいるようなもので,IHIという企業はまさに人間界.最初は人間界に取り込まれてしまうという恐れがあって断ろうとしていたのですが,やってみたら,自分自身は失われなかった.いや,それ以上に学ぶものが大きかったですね.今は,ぼくの役目の一つは魔法界と人間界を橋渡しすることだと思っています.」

発想を支えるのは,日々の徹底した観察

現代美術作家というアーティストは,いったいどんな魔法を使って,“0”から“1”を創り出しているのか,日々何を思い活動しているのかを聞いてみた.

「毎日一生懸命やっていることは,世界をどれだけ集中して丁寧に見るか,です.例えば最寄り駅からオフィスまでの道のり,歩いて5分ぐらいの間でも,毎日天候も変われば,自分の気分も違うので,見える風景,感じるものは日々変わるはず.『ここに昨日はゴミが落ちていたが今日はない』とか,『今日はこの音楽を聴きながら歩くとこんな気持ちになる』とか.毎日普通に生活をしながら,どれだけ集中して地球の音を聞くか,世界の移り変わりをどれだけ目撃できるかに挑戦している.毎日,毎日それをやるから,ちょっとした世界の機微に気付くし,それは自分にとってどのような関係があるのか,どう解釈するかなどの疑問も生まれる.」

その積み重ねが作品になる.野村さんの場合はこうだ.ニューヨークの自宅から作業場であるスタジオまで毎日30分ほどかけて歩いていく.その道々,もちろん朝目覚めてから観察したこと,感じたことを自分の中に蓄積させた状態でスタジオに着いたら,まず,ノートを開いて浮かんでくるものを描きつける.これは20年以上続く習慣だ.

緻密な観察を繰り返し続けていくと,新しいアイデア,自分だけのメッセージ,まだ誰もやっていないことが立ち現れてくる.アーティストの素養として,必ずそれがやってくると自分を信じ続けることは欠かせないと考えている.

「“魔法”なんて言いましたけど,実はこれは誰でもできるトレーニングです.集中して観察し,自分に向き合い,考え続ける.いつでもアウトプットできる状態にしておく.スポーツ選手のトレーニングと同じで1日でも間が空いたらダメ.ひたすら毎日,すべての瞬間を観察して受け取る.ボーッとしているように見えても,頭はフル回転です.」

社会の軸とのクロスポイントを見つける

誰しもが「いまだに誰もやっていないことを形にする」アーティストになるわけではない.研究開発者が,アイデアをプロジェクトとして立ち上げ,形にして世の中に送り出すためのヒントはあるだろうか.

「ひとつには,自分から発するアイデアであること.そのアイデアをもって会社から独立できるぐらい突き詰めたい.強い自分軸をもつことと同時に,会社の軸も深く知らなければならないと思います.そして両者のクロスポイントを探す.バチッと合うことは難しくても,緻密な観察のトレーニングはそこにも役立つはずです.」

IHIで「アート思考プログラム」を開催して2期目.野村さんの講義を受け,研究開発者たちは切磋琢磨を重ねている.

「IHIの皆さんと出会って,すごいと思ったのはそれぞれの分野に精通した研究開発者がこんなにそろっていること.『この人たちが本気を出したら,世界を変えられるじゃないか!』と今も思っています.彼らは自分の内面にコミットする能力が高い.ただあと一歩だなと思うのは,プレゼンテーション能力です.これは,うまくしゃべるとかではなく,相手,つまり会社だったり,社会だったりのニーズを掘り下げ,見極めて,先ほど言った自分軸とのクロスポイントを見つけてること.IHIの皆さんはそれができる潜在能力を秘めていると思います.」

野村氏が考える, アートにおけるコンテキストの役割

サステナビリティとアート的思考の関わり方を考える

社会のニーズという観点では,脱炭素社会や循環型社会の実現を避けては通れない.これは,アーティストの目にはどのように映っているのだろうか.

「ぼくのようなアーティストは,前提的に産業廃棄物の製造者であるという自覚があります.しかし,実は,先日テントについて調べていて,西アジアの遊牧民のドキュメンタリーにたどり着きました.見ていて,彼らの生活の質素さ,謙虚さとクリエイティビティに打たれました.ショックだったのは,ぼくの排出しているCO2は彼らの日常の何百倍だろうということ.彼らの生活を間接的に脅かしているのは,ぼくらの生活だから,これはなんとかしないといけない.彼らはあらゆるものを大切にし,サステナブルであるように工夫している.そしてそこに美もある.自作のテントの装飾,民族衣装は実に鮮やかで美しい.作品に落とし込むところまではいっていませんが,強い感銘を受けました.
ぼくたちがもっている現代社会の技術や能力をフルに稼働させれば,そしてちょっと謙虚さを取り戻せば,サステナブルで美しい世界はまだ可能なのではないか.気候問題は人類共通の課題であるけれども,誰かがやれと言うからやるのではなく,そこも自分軸から.自分の個性,感性を信じて,サステナブルな生き方を選ぶ.それにはクリエイティビティと美意識が絶対的に必要.そこにアート的な思考の活躍の可能性があると思っています.」

「利便性」「豊かさ」の先を創造する

IHIは,多くのモノを作っている.現代美術作家の野村さんも,アート作品という目に見えるモノを作っている.その「モノ」は,何が同じで,何が違うのかを聞いてみた.

「目をつぶると世界は自分の目の前から消えるじゃないですか.最近ぼくが思っていることは,目をつぶっても世界は存在すると信じられる何かを作りたい,ということ.」

野村さんがIHIとのコラボレーションで作り上げた『Echoes』は,まさにそうした作品だ.人が生きていた証しともいえる写真を水面に印刷する.すると,それが水の中をたゆたって消えていく.野村さんは「これは写真からの開放であり,同時に,その人が生きていたことを証明している」と言う.

「目をつぶっても,たとえぼくが死んでも,実在を証明してくれるのが『モノ』だと思っていて,それを作品で表したいのです.」

Echoes

水に亡くなった人物のポートレート写真をインクジェットプリンターで印刷する.印刷されたインクは一瞬後には人とほぼ同じ大きさの水槽の中の水にゆっくりと落ちてさまよい,やがて混ざって消えていく.その人の存在と消滅を可視化させる装置により,物質としての人間が消滅した後に何が残るのか,人間の根本的な存在の在り方を問いかける作品.
IHIは,プリンターヘッドの技術,塗装を応用した技術,また,水の中をインクが美しく広がり流れるための流体技術などを提供.

確固として存在するモノとは,人が認知しなくても,何らかの作用で人の記憶に残っていくモノであり,個人の存在がなくなっても,それ自体がその人の存在を投影していたり,何かの存在に影響を与えたりする.

IHIが作る,例えば“橋梁”や“ターボチャージャー”などは,そのような「モノ」とは違うのか,同じなのか.橋により回り道をしなくて済むことで時間短縮ができ,谷や川を安全に渡ることできる.ターボチャージャーは効率良くスピードが出るなど利便性を高める.しかし,野村さんに言わせれば,「利便性」や「社会の豊かさに貢献する」だけでは,変化し続ける世界で今後人類がつくるモノとしては足りない.

「4年ほどお付き合いしてきて,IHIの皆さんと一緒なら『世界を変えるモノがつくれる』と実感しています.世界を変えるには,利便性や効率性の『先』が大切.橋であれば,記憶に残る橋.見ただけで,渡っただけで心に刺さる橋とか.橋が架かって時間が短縮できるようになるのなら,その橋を渡る人はできた時間で何をするのか.『モノ』はあくまでも媒体であって,届けたいのはメッセージです.製品は自分の,あるいは自分たちの世界を伝えるメディアであってほしい.『人々の豊かさに貢献する』なんて,どんな『豊かさ』なのか誰も分からない.だから,それをIHIの皆さんが具体的に示してください,『こういう未来に向かうのだ』と.」

個人的経験からのアイデアを突き詰めると,いずれ公になる

IHIでアートワークをする意味と面白さについて聞いてみると,人間的な交わりがあるという答えが返ってきた.

「一人ひとりがとても好奇心旺盛で,伝えたことを懸命に受け取ろうと講義の後でもメールして質問したり,貪欲にコミュニケーションを図ってくれたりする人が多いですね.企業とコラボレーションしているのですが,実質は1対1で対話できて『あ,通じる!』という喜びがあります.皆さんがやってきたこと,突き詰めてきたことは決して間違っていない.自分発で考えて,考え続けてください.誰もやっていない自分オリジナルにこだわって作品を作り続けていくと,あるとき『作品が独り歩きを始める』瞬間が訪れます.それは言い換えれば『自分のものではなくなった,皆のもの,公のものになった』感覚で,作品の完成の瞬間です.アーティストとして言えるのは,主観と客観を行き来しながら,世界を緻密に観察して内面の密度を高めていくと,諦めたアイデアも形を変えてやがて花開きます.自分を信頼して,また,相手をつまり会社を信頼して,双方を今一度深く知ること.そうすることで皆さんと創造の喜びを共にできる日が必ずやってくると信じています.」