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カーボンニュートラルのための環境予測技術に向けて
-二酸化炭素とIoTデータのリサイクル-

東北大学材料科学高等研究所 教授  安東 弘泰

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2007 年東京大学大学院博士課程修了.博士(情報理工学).理化学研究所基礎科学特別研究員,筑波大学助教,准教授などを経て2021 年より現職.JST未来社会創造事業,SIP第3期「スマートエネルギーマネジメントシステムの構築」などの研究代表者を務めており,IHIをはじめ多様な企業との共同研究をとおして産学官連携に尽力.経団連数理活用産学連携イニシアティブでは,数学界側の事務局も担当し社会に役立つ数学を日々探求している.


はじめに

カーボンニュートラル達成が期待される2050 年を見据えると,現在はその転換期にある.この過程では,エネルギー源やその需要家としてのモビリティのあり方について新たなビジョンが浮かび上がる.例えば,再生可能エネルギー(再エネ)は脱炭素の重要な要素であるが,太陽光発電のように供給が不安定な場合,炭素燃料によらない調整力や蓄電池が必要となる.同様に,再エネの余剰を蓄積する手段として電気が適しているかどうかは,コストや貯蔵の観点から検討が必要となる.

また,エネルギー需要側の自動車の電動化も転換期にあり,内燃機関やハイブリッド車両も依然として使用されている.この文脈において,さまざまな再エネ源を効率的かつ最大限に利用するためには,電気だけでなく水素,アンモニア,そして炭素回収を活用したメタンなどのe-fuel(合成燃料)を製造し,貯蔵する技術が不可欠である.さらに,エネルギー需要家としての運輸分野での動力源確保と二酸化炭素排出量削減の両方の検討が重要である.

IHIは,「そうまIHIグリーンエネルギーセンター ( SIGC ) 」において,太陽光発電の余剰電力に対して,上記の多様なエネルギーキャリアやその利活用について実証実験を伴いながら検討している.例えば,再エネ由来の合成メタンを利用したモビリティサービス「おでかけミニバス」は市民の重要な足となる可能性を秘めている.さらに,水素の水電解から生成した酸素のアクアポニクスへの活用は,第一次産業への発展の足掛かりとなる.

このような再エネをモビリティさらには農業などの地域活動へ活用するには,エネルギー需給のバランスを取りながらマッチングさせなければならない.どちらかが余剰でも不足でも成立しない.これは供給が一定でない再エネを利活用し,系統から独立したオフグリッドとしても成立するための分散型電源システムを構成することにも相当する.そのため,カーボンニュートラルだけではなくエネルギーのレジリエンス性を向上させ,災害対応にも有効な試みとなる.ここで重要な観点は,動的に変動する再エネと,動的に変動する需要の最適なマッチングであり,これには再エネの発電量とその需要の高精度な事前予測が必須となる.

環境予測技術のための数理活用

再エネ供給の変動や需要側の変動に対して,貯蔵コストや変換効率を鑑みてマッチングさせるためには,上述の再エネ由来の電気,水素,メタンといったエネルギーキャリアのポートフォリオを最適化することが求められる.これには,数理活用が有効である.特に,時々刻々変化する再エネの供給量と需要量のバランスは力学系と呼ばれる数理モデルで記述する.これにより,予測や最適マッチングをリアルタイムで実現させることや,電力や移動,通信の多重ネットワークとしての頑健性の向上にも理論的にアプローチできる.対象の理論的背景が分かることで,要因の分析も可能になり,予測や効率的なシステム設計にも役立つ.実際,再エネの発電予測には,人工知能技術を含む数理活用がすでになされている.

我々は,これまで従来の人工知能の予測手法に対して,実用上の課題となる計算リソースの制限やスモールデータにも対応可能な方法論を提案し,渋滞発生予測を事例にその有効性を示してきた.また,同じ原理を用いて風向風速推定を行う映像を利用した風速計技術も開発中である.この方法論の背景には,普段は見過ごされているデータ(情報)を無駄なく活用することで,情報の新たな利用価値を見いだすという発想がある.SIGCでの再エネの地産地消におけるMOTTAINAI姿勢をソフトの観点で実践することに類する.再エネ由来の合成メタンは,大気に排出される二酸化炭素を再利用するというカーボンリサイクルのアイデアに基づいており,我々の予測手法も検知器などのインフラから常時取られるデータを再利用する「データリサイクル」といえる.さらに,「ハードとソフトのリサイクルを同時に行うことで,再エネの利用効率を向上させて,カーボンニュートラルを加速させる」ことを目標としている.

例えば,気象に関わる常時計測データをあらためて活用して再エネ発電量を予測し,かつカーボンリサイクルでメタン合成し,余剰電力を無駄なく使う.結果として,カーボンニュートラルが加速するというシナリオである.当然,データ選択や炭素回収については技術的課題が残るが,それらが可能となった場合の想定のもと検討が可能となるのも数理活用の有効な観点である.

データリサイクル

ここで,我々が提唱する予測の方法論について簡単に説明する.最近の人工知能技術の躍進には,インターネットを含むIoTセンサーなどから得られるビッグデータが欠かせない.ChatGPTなどの生成AIにおいても学習のために大量のデータおよび計算資源が必要となる.一方で,豪雨災害や新興感染症などの未曽有の災害や極地などの未観測地域では通常の深層学習に十分なデータを収集することは難しい.さらに,突発的な交通事故による渋滞のように時間とともに変化する現象をリアルタイムシミュレーションするのは計算資源の観点からも難しい.これらは,過去のデータを基に適切なモデルを構築し,デジタル計算機によりシミュレーションすることで,質の良い予測を行うという従来のAI方法論に基づいている.そのため,十分なデータや妥当なモデルが得られない状況下で,どのように目的の計算を実現するかを検討することは実用上意義がある.そこで我々は,通常のビッグデータに基づいた人工知能技術が適用困難な状況においても使える新しい学習技術の方法論を提案し検証している.特にデータリサイクルの観点から,高速道路の既設検知器データを用いた渋滞発生予測を行い,高速な学習やスモールデータでの精度の担保を上述のようなカーボンニュートラルへ資する人工知能技術として検証している.

学習データの“選択と集中”

この章では,深層学習の代替技術として近年注目を浴びているリザバーコンピューティングの概念とその応用としての環境予測計算の概念を紹介する.

リザバーコンピューティングは,国立研究開発法人科学技術振興機構 ( JST ) 研究開発戦略センター「研究開発の俯瞰(ふかん)報告書(2023 年)」にも注目動向のコンピューティングアーキテクチャとして取り上げられている.物理的に存在するものを計算媒体として使えるため,アナログ素子としての可能性も議論されている.

我々はこの計算方式について実現象を活用したひとつの形式として,コンピューテーションハーベスティング(環境計算)という枠組みを提唱し,その実証例を検討している.ここでは,実現象にある物理的な変化のパターンを抽出し,それをある種の計算プロセスのように捉えて計算資源として利用する.例えば,高速道路では,車両検知器により車の流れ(平均速度や交通量など)の変化というパターンを常に抽出している.そこで,複数箇所の検知器から抽出されるパターン群を組み合わせることにより,短期の渋滞発生予測を高精度で実現できる.ある路線の実データ検証では,深層学習に匹敵する精度を保ちつつ,約2 000 倍の高速学習を示した.また,学習データ量の観点から,深層学習では精度が出しづらくなるような「データの取捨選択」を適切に行う(渋滞発生前後にデータを集中させる)ことにより,スモールデータであるにもかかわらず,ビッグデータを用いた深層学習を上回る精度での予測も可能であることを示した.加えて,アルゴリズムの特徴から,予測結果の説明性に関する検証もでき,渋滞回避のための方策を検討することも可能である.この事例で特徴的なのは,従来のIoTセンサーで常時収集されていたデータの一部を再利用することにより目的の計算を実現している点である.すなわち,データリサイクルである.

数理活用の観点がより有効となるのは,異なる対象においても同様の予測の方法論を適用することが可能な点である.我々は全く同じ方法論を集中治療室の検査データをリサイクルした敗血症発症予測に適用し,有効性を示した.さらに,仮に家庭におけるヘルスケアIoTデータを集めることができれば,そのデータから救急搬送リスクを推定し,そのうえ,現在の交通状況の予測と合わせたスマート救急モビリティというサービスも想定可能である.第1図にテータリサイクルによる予測の方法論を示す.現在は,提案手法で予測がうまくいくことの数学的な背景を整理することを試みており,どのような性質をもった対象に対して有効な予測手法であるかを明らかにすることを目指している.特に環境分野の対象を検討している.

第1 図 データリサイクルによる予測の方法論

この環境予測計算の技術を実現可能とする理論的背景を整備することのメリットは,計算コストを下げることで省エネルギー化かつエッジでの高速計算が可能となることである.そして,普段は利用されていないセンサーの情報を利活用することを念頭においているため,インフラコストがかからない点も注目すべきである.我々は,この技術を気象予測に応用することにより,再エネへの応用を前提として,エネルギー分野での低コストかつ高速・大規模な予測システムを検討している.

カーボンニュートラルモビリティシステムへの展開

上述のデータリサイクルの概念を渋滞予測および回避を自律的に行うことへ応用し,さらに再エネとの連携による電力と移動の需給の同時最適マッチングをすることで,スマートエネルギーとスマートモビリティの両方へ展開する構想を検討している.

内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム ( SIP ) 第3期「スマートエネルギーマネジメントシステムの構築」 課題では,「カーボンニュートラルモビリティシステム」をテーマとして,再エネの自立化と電気自動車,メタンガス車などの次世代モビリティとの連携を社会実装することを念頭に研究開発している.対象地域を東北大学新キャンパスとして,太陽光発電をはじめとするさまざまな再エネを電気,水素,メタンなどに変換,貯蔵し,学内での学生,教職員の移動需要に応じた最適なモビリティ形態を提供することを目指している.第2図に東北大学グリーンキャンパスグランドデザイン案を示す.このエネルギーマネジメントシステムの実装のために,数理モデルや上述のデータリサイクル予測技術も応用する.そして,省エネルギーに加えてカーボンニュートラルへの貢献も踏まえた,エネルギーキャリアの動的最適化の理論構築を目指している.特にカーボンリサイクルの観点から,二酸化炭素とグリーン水素によるメタン合成では,IHIのメタネーション標準機が重要な役割を果たす.また,電力や移動の需要予測には,学内建物の消費電力量や循環バスの利用といった人の移動に関するIoTデータのリサイクルが有効となるエネルギーマネジメントシステムづくりを行う.本プロジェクトは,5 年間の計画の先に第2図に示すような東北大学グリーンキャンパス構想実現に向けて,東北大学を中心に4 大学1 国立研究開発法人3 企業(IHIを含む)の体制で推進している.

第2 図 東北大学グリーンキャンパスグランドデザイン

本稿では,IHIのグリーンエネルギー利活用に関する取組みをベースとして,動力の多様なモビリティへ展開することでカーボンニュートラルを目指すエネルギーマネジメントシステムの枠組みを紹介した.特に数理活用に焦点をあて,ハードとソフトの両面から「データリサイクル」が有効となる環境予測技術の方法論を示した.今後は数理的アプローチの特色を活かして,さまざまなデータ(エネルギー,交通,医療,教育ほか)の連携による大学ならではの複合的な出口を見据えた研究開発を行っていく.