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歴史的景観となった建造物
国指定文化財に見るIHIグループの足跡

  IHI技報編集事務局

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長年にわたり美しい景観をつくり,私たちの目を楽しませてくれる建造物.その建造にIHIグループが関わり,現在も活躍中で,国の有形文化財に指定されている.そんな建造物の歴史の一端に触れてみませんか.
文化財は,長い歴史のなかで育まれ,有形・無形の文化的価値が認められた貴重な財産です.例えば,国が重要文化財に指定した建造物の件数は,2023年1月時点で,2 557件5 373棟に上ります.ここでは,IHIグループが建造に関わり,国から有形文化財に指定されている建造物のうち,東京駅丸の内駅舎,永代橋,清洲橋(きよすばし),勝鬨橋(かちどきばし),通天閣,東京タワーにまつわる歴史の一端を紹介します.


東京駅丸の内駅舎

鉄骨レンガ造りの東京駅丸の内駅舎は,レンガを主体とする建造物としては国内最大規模で,国指定の重要文化財である.日本の建築界を主導した建築家,辰野金吾氏の設計によるもので,1903(明治36)年に同氏が設計の依頼を受けた当時は,東京中央停車場と呼ばれていた.

1909(明治42)年に,株式会社東京石川島造船所(現 株式会社IHI)は鉄骨の製作と組み立てを引き受けた.鉄骨の製作と現場組立を1911(明治44)年までに行った.鉄骨用に重量にして約3 000 tもの鋼材が使用された.

『石川島重工業株式会社 108 年史』(石川島播磨重工業,1961 年)に,次の記載があるように,東京石川島造船所の社員の発案により,当時としては画期的な工法で工事を進めた.

「そのころ鉄骨建築には足場を組んで工事を行うのを例としたが、当社は足場をきずかず2 台の軽便な移動クレーンを製作しこれを使用して工事を進めた。この方法は高層建築工事上独創的な作業であり、建築界の賞讃を博した。大正3 年 ( 1914 ) 8 月20 日この工事にたいし鉄道院から賞状を授与された。」(原文ママ)

東京中央停車場の鉄骨

東京駅丸の内駅舎は1913(大正2)年に完成し,その後はIHIグループの直接的な関与はないものの,第二次世界大戦後の復旧工事や増設工事,2007 ~2012 年の復原工事などを経て現在に至っている.2003(平成15)年に「意匠的に優秀なもの」で「歴史価値が高いもの」として,国の重要文化財に指定された.

東京駅丸の内駅舎( 写真提供:JR 東日本)

隅田川に架かる永代橋,清洲橋,勝鬨橋

東京を流れる隅田川に架かっている橋のなかには,東京石川島造船所が建設に関わった橋がいくつかある.現在は架け替えられて残っていないが,初の国産大型鉄橋であった吾妻橋がその最初であった.この吾妻橋について,『東京石川島造船所五十年史』(新井源水 著,1930 年)に,次の記載がある.

「本社にて大公道橋の製作を開始したるは、明治二十年隅田川に架する吾妻橋を以て嚆矢とす。これ實に本邦に於て製作し組立てたる最初の大鐵橋なり。」(原文ママ)

東京石川島造船所では吾妻橋を皮切りに,次々と橋の製作や組立架設の注文を受け,工事の経験を積み重ねた.隅田川に架かる永代橋,清洲橋,勝鬨橋は,いずれも国指定の重要文化財であり,東京石川島造船所が関与した名橋である.

永代橋は,1923(大正12)年に起きた関東大震災からの復興事業として,東京石川島造船所が現場工事に関わった橋である.1926(大正15)年に完成し,所要鉄材重量は3 932 tであった.なお,関東大震災以前に架かっていた旧永代橋も,東京石川島造船所が製作,架設したものである.

永代橋は,荘重な造形で近代的橋梁美を誇るとともに,日本で最初に径間長100 mを超えた鋼アーチ橋で,大規模構造物建設の技術的達成度を示す遺構として重要とされている.

清洲橋も,永代橋と同様に関東大震災の震災復興事業として東京石川島造船所が現場工事に関わった.所要鉄材重量は4 460 tであった.

1928(昭和3)年に完成した清洲橋は,力学的合理性に基づいた近代的橋梁美を誇るとともに,材料,構造形式,工法に当時の最先端技術が駆使され,昭和初期を代表する吊橋として重要とされている.

永代橋,清洲橋とも,先輩方の施工した多くの鋲(リベット)が橋梁全体に残る.これらの鋲は,現在の橋梁では使用されることはないが,構造美にアクセントを加えるとともに,当時の職人の高い技量を感じさせられる.

勝鬨橋は,築地と月島の間に架けられた橋である.この橋の両端部はアーチ橋となっており,中央部が上方に開く構造となっている.東京石川島造船所は,東京市から注文を受け,月島側アーチ橋の橋桁製作を担当した.

1940(昭和15)年に完成した勝鬨橋は世界的にも珍しい大型の跳開可動橋で,当時の最先端の技術を駆使して建設されており,技術的完成度の高い構造物として重要とされている.

永代橋,清洲橋,勝鬨橋は,2007(平成19)年に国の重要文化財に指定された.永代橋と清洲橋は,「意匠的に優秀なもの」で「技術的に優秀なもの」と認められ,勝鬨橋は,「技術的な優秀なもの」と認められた.さらに勝鬨橋は,跳開部の機械設備が歴史的景観を構成する設備として,2017(平成29)年に一般社団法人日本機械学会から「機械遺産」に認定された.

通天閣と東京タワー

日本の戦後復興の象徴として,また,大阪のシンボルとして親しまれている現在の通天閣は,1956(昭和31)年に,2 代目として建造された.設計は日本を代表する建築構造学者,内藤多仲氏によるものである.

通天閣( 写真提供:通天閣観光株式会社)

通天閣を建造する際,松尾橋梁株式会社(現 株式会社IHIインフラシステム)は鉄骨の製作を担当した.使用鋼材は山型鋼(アングル)などの型鋼が主で,溶融亜鉛メッキされた品質の高い鋼材が使用された.製作鋼材重量は約690 tであった.

コンピュータがなかった当時,関係者は三次元の座標計算に苦労した.設計班と原寸班が協力し,多数のつなぎ目の位置と斜めに取り付く部材の角度を手計算で求めた.同一部材がほとんどないため,計算に基づいて描く工作図面が大量に作成された( 『松尾橋梁70 年のあゆみ』(松尾橋梁株式会社社史編纂委員会 編,1996 年)による).

完成から40 年後の1996(平成8)年の改修工事時に確認したところ,鉄骨はどこを見てもびくともしておらず,錆(さび)も全然でていなくて驚いたとの証言がある(『通天閣 人と街の物語』(読売新聞大阪本社社会部 編,2002 年)による).

建設中の通天閣( 出典:通天閣Web サイト)

通天閣は2007(平成19)年に「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として,国の有形文化財に指定された.

また,通天閣は,公益社団法人ロングライフビル推進協会 ( BELCA ) による,BELCA賞ロングライフ部門表彰を2018(平成30)年に受けた建物で,30 年先までの保全計画がされている.

通天閣と同様に日本の戦後復興の象徴として親しまれている東京タワーは,1958(昭和33)年に完成した.設計は,内藤多仲氏らによるものである.当時,高さ333 mはフランス・パリのエッフェル塔より13 m高く,自立鉄塔として世界一であった.

東京タワーを建造する際,松尾橋梁は地上から140 m(第1展望台の約10 m上)までの鉄骨を製作した.松尾橋梁が製作した鋼材重量は,総鋼材重量の約75%に相当する約2 860 tだった.

受注が決まるとすぐに工事担当者は大阪工場へ行き,先に施工した通天閣の関係者にアドバイスを求めた.また,工作図作成に当たっての計算作業や作図枚数は,通天閣をはるかにしのぐ膨大な量となった.さらに,鉄骨の長期的な健全性を維持するため,入念な処理を施した.具体的には,塗装の仕上がりを均一化して防錆(せい)効果を高めるため,1 次加工を終えた部材は組み立て直前にショットブラストを行い,鋼材表面の錆や黒皮を完全に除去し,1 次プライマーを塗布した(『松尾橋梁70 年のあゆみ』による).

東京タワーは2013(平成25)年に,「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として,国の有形文化財に指定された.

また,東京タワーは,BELCA賞ロングライフ部門表彰を2009(平成21)年に受けた建物で,公共放送用の電波塔として適切に維持管理されている.

おわりに

美しい景観となった建造物が長きにわたり私たちの目を楽しませてくれているのは,それを支えてきた関係者の皆さまのおかげである.建造物の活躍を支えるため,さまざまな形で尽力された方々に深く感謝しながら,筆を置く.

(文責:IHI技報編集事務局)