「常識」と「非常識」
技術開発本部 張 惟敦
空を滑空する鳥の姿を見て,「あっ,鳥だ」,「気持ち良さそうに飛んでいるね」,というような親子の会話は想像できますが,森の中をただ歩いているような鳥を見て同様の会話を思い浮かべられるでしょうか? 鳥は空を飛ぶというイメージをもつことが「常識」で,空を飛べない鳥のイメージは「非常識」に当たるのでしょうか.もちろん,ニワトリは焼き鳥で食するので,多くの人たちはニワトリを鳥として見ると思いますが,空を飛べない鳥としては意識しないでしょう.でも,世界には飛べない鳥が40種類ほどいるといわれています.
新型コロナ禍前は,年に1 度沖縄を訪れることが多くありましたが,実はまだ直接見たことがありません.飛べない鳥,ヤンバルクイナのことです.ヤンバルクイナ(ツル目の水鶏:クイナ)は沖縄本島北部の雨林地帯(山原:ヤンバル)に生息しています.沖縄本島には本来天敵となる肉食獣がいなかったため,飛ぶことをやめて地上生活に特化したと考えられているようです.正式に確認されたのも1981 年になってからです.ほかにも飛べない鳥はいて,身近なものだとニワトリやダチョウ,ペンギンなど,国鳥だとキジ(日本)やエミュー(オーストラリア;非公式),キーウィ(ニュージーランド)が存在します.
飛べない鳥は大きく次の二つの特徴をもっています.一つは,羽の骨が飛べる鳥よりも小さいために揚力が得られないこと.もう一つは,胸骨の竜骨突起が退化して羽ばたくための筋肉がつけられないことです.ただ,飛べないだけの鳥はいません.飛べない代わりに家畜として利用されるようになった鳥(ニワトリ),走るのが速い鳥(ダチョウ),泳ぐのが速い鳥(ペンギン)など,さまざまな個性を新たに獲得しています.「変わり者」が時として,「個性的」とも言われるのに似ているような気がしますね.
ところで,京都で人を訪ねたとき,「ぶぶ漬け(茶漬け)でも食べていかはりますか」と言われたら,皆さんならどのように対応しますか? この言葉は一種の退出勧告らしく,相手との関係性も大切に穏やかに扱おうという知恵からでた京都人たちのイケズの一例のようです.また,例えばイランで食事に誘われたら,ほぼ社交辞令だと思った方が良いそうです.これらの例も「常識」というのでしょうか.
一般的に,年を取ったら記憶力や認知機能の低下が起きることに不安を感じますが,臨床的観点からだとどうも違うようです.記憶力や認知機能の低下が起きるはるか以前に,脳の前頭葉機能が衰えてしまうらしい.思考,自発性,感情・興味・感心,性格,理性などをつかさどる前頭葉機能が衰えることで,思考が鈍くなり,無関心や意欲の低下を引き起こします.加えて,創造性や新しいことへの対応能力がなくなり,前例踏襲型の思考につながるといわれます.若いときにはすごく尖(とが)っていた人が,年を取ったらだんだんと丸くなって見えるようになるのは,医学や脳科学の観点から解釈するとこのようなことなのだろうと感じます.アインシュタインの言葉に「常識とは,18 歳までに積み重なった,偏見の累積でしかない」というのがありますが,多くの人たちは18 歳を超えてもただただ偏見を積み重ねていくだけなのでしょうか.
それでは,前例踏襲型にならず,常識にもとらわれない思考をするためにはどのようにすれば良いのでしょう.年を取れば取るほど前頭葉を鍛える必要があるのですが,日本人というのはなかなか前頭葉を使わないともいわれています.「常識」は誰からも否定されずに使い勝手良く主張でき,決まっていることなのでほとんど何も考えなくて済みます.よほどのエネルギーを使わない限り,前頭葉を鍛えられないのだと思ってしまいますね.逆説的ですが,常識を疑うためには,まず常識を良く知らなければなりません.なぜそれが常識になったのかをしっかりと勉強する必要があります.ただ,しっかりと勉強したとしても,その後が問題なのでしょう.人間は楽な方に流れます.ほとんど何も考えずに,余分なエネルギーも使わずに,「常識」というものを使えるのです.活用しない手はありません.易(やす)きに流れ,きっと常識を疑うところまで到達しないのだと思います.でも,やはり,自分たちの頭で考えることをやめてしまわないようにしないといけないでしょう.
結論めいたことはないものと思いながら,いろいろと勝手なことを書いてきました.「これって常識なの?」と読者の皆さんがもしも疑う機会があったら,喜んで受け入れ,ちょっとだけ詳細に調査してみてはどうでしょうか.「非常識なことを言う人だな?」と感じてしまったときは,今一度立ち止まって,それが本当に非常識なことなのかどうか,今までよりもちょっとだけ深く考えてみるのもいいかと思います.そして,この「箸休め」が非常識なことばかり主張していると感じたら,コメントをいただけるとありがたいです.