エネルギーシナリオを定量的に捉えるIHIの新たな挑戦
経済の視点でエネルギー関連技術の普及可能性をシミュレーションする
株式会社IHI
IHIグループは,環境・エネルギーに関連する技術・サービスの展開を考えるに際し,新たに,経済性シミュレーションを活用する取り組みを始めた.持続可能な航空燃料 ( Sustainable Aviation Fuel:SAF ) を例として,将来のエネルギー動向の予測に関する取り組みを紹介する.
はじめに
地球温暖化による気候変動は,異常気象や海面上昇,生態系の変化など自然環境に深刻な影響を及ぼすグローバルな社会課題となっており,カーボンニュートラルに向けた取り組みが進められている.一方で,新興国を中心としてエネルギー需要は増大を続けている.クリーンなエネルギーや資源をあらゆる地域に安定かつ継続的に供給することは,人々の豊かな暮らしの追求や維持と自然環境保護を両立するために極めて重要な社会要求となっている.
IHIグループは,エネルギーに関して生産・変換・貯蔵・輸送・利用とバリューチェーン全体にわたる製品やサービスを提供してきた.将来のために,自然環境に配慮した製品やサービスを,社会に受容されるコストで提供し続けることが求められている.
そこでIHIグループでは,再生可能エネルギーの利用可能量や世界のエネルギー需要,カーボンニュートラルに関する最新技術,二酸化炭素 ( CO2 ) 排出量削減の政策目標など,さまざまなパラメータを組み込んだシミュレーションで将来のエネルギー動向の予測を試みている.
想定される場面として,温暖化対策が厳密に進められる社会と,緩やかに実行される社会とでは,将来利用されるエネルギーの種類も必要とされる技術も全く異なる.このため,異なる社会シナリオを設定してエネルギー動向を予測することで,不確かな将来社会に対して,必要となる技術開発の方向性を見いだそうとしている.
エネルギー問題の複雑性とエネルギー経済
グローバルなエネルギー市場がどのように変化していくか,将来の見通しを定量的に捉えることができれば,社会に提供する製品やサービス,これらを実現するための技術を明確にして開発することが可能となる.
エネルギー市場は,世界的なエネルギー需要やカーボンニュートラルに関する開発技術の進展に加えて,CO2排出量削減に関する国際的なルールや各国の政策など,さまざまな事象の影響を受けて変化する.将来のエネルギー動向を定量的に捉えるには,これらをパラメータとして組み込んだシミュレーションが必要となる.
例えば,エネルギー需要が大きく増加しない,または減少する先進国では,CO2の排出量削減,太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギーの利用拡大は,地球環境への負荷を低減する要素となり,エネルギー動向に大きな影響を及ぼす.一方で,エネルギー需要が拡大していく新興国では,安定的にエネルギーを供給するための発電設備やサプライチェーンの確保が大きく影響する.
また,ロシアによるウクライナ侵攻は,ヨーロッパを中心としたエネルギーのサプライチェーンや,アジアのエネルギー需給構造を大きく変化させた.太陽光発電や風力発電,CO2貯留は天候や地質の条件によって適さない地域がある.原子力エネルギーも地域により社会的受容性が大きく異なる.このように地域で発生している事象が及ぼす影響を考慮しながら,その総和としてグローバルなエネルギー動向を捉えていくことが必要となる.
加えて革新的な技術は,カーボンニュートラルに向けた社会を大きく進展させる可能性があり,技術の進展も重要なパラメータとなる.
IHIグループでは,さまざまなパラメータを組み込んだ全体システムを作成し,CO₂排出量と経済性の観点から定量的に評価する経済性シミュレーションを行い,将来のエネルギーシナリオを予測したうえで,社会に提供する製品やサービス,技術開発の方向性を議論している.
エネルギー経済のシミュレーション手法,モデリング手法
社会的要因や技術の進展を組み込んでエネルギーシステムをモデル化する手法として,技術選択モデルや一般均衡モデルが知られており,これらモデルと経済や技術の前提情報が関係付けられ,分析される.
技術選択モデルは,想定される条件において全体システムの費用を最小化する技術を選択するモデルである.化石燃料由来,再生可能,原子力などのエネルギー供給や,各種のエネルギー変換,産業や運輸部門でのエネルギー利用の場面で,どの技術を選択すべきか定量評価するには,技術選択モデルが適している.
一般均衡モデルは,経済活動全体の挙動を評価するモデルである.国際的な規制などで先進国から新興国に事業活動が移転する動きや,エネルギーを大量に消費する製造業から省エネルギーでCO₂排出の少ない産業へ構造が変化する動きなど,事業活動や経済活動の動きを詳細に捉えるには,一般均衡モデルが有用である.
IHIグループでは,将来社会に必要とされる新たな製品やサービスの可能性を広く探索するため,主に技術選択モデルを用いたシミュレーションを行っており,この補完のため,一般均衡モデルによるシミュレーションを活用している.また,製造業として蓄積してきた設計・製造に関する技術情報を考慮することで,より精度の高い分析を行っている.
SAFの世界普及シミュレーション
持続可能な社会構築に向け,持続可能な航空燃料 ( Sustainable Aviation Fuel:SAF ) の活用は,航空業界のCO₂排出量を削減する有力な手段と考えられる.IHIグループは,適用可能性を含めて,SAF技術の検討を進めている.公益財団法人地球環境産業技術研究機構 ( RITE ) の協力のもと,社会面と技術面についてそれぞれ前提条件を設定し,SAF の普及シナリオと普及させるために必要とされる技術を,技術選択モデルを用いてシミュレーションした結果を紹介する.
社会的な前提条件として,地球の平均気温の温度上昇を産業革命以前に比べて1.5℃に抑えるためにCO₂排出を厳しく削減する場面と,2.5℃を目標として比較的緩めに削減目標が課される二つの場面を設定した.そのうえで,航空業界による燃料のカーボンニュートラル化の目標が積極追求されるケースと,そうでないケースを想定した.具体的には,2050 年の将来世界において,温度上昇を1.5℃に抑制するべく国際民間航空機関 ( International Civil Aviation Organization:ICAO ) が掲げる野心的なCO₂排出量削減目標の追求の有無を考慮した.
SAFに関する技術的な前提条件として,原料と製造プロセスの違いから,以下の3 種類を想定した.一つ目は植物油などの油脂系のバイオマスを原料とし,水素化処理をして製造する燃料 ( Hydroprocessed Esters and Fatty Acids:HEFA )である.二つ目は,バイオマス原料をアルコール発酵・脱水処理などで製造する燃料 ( Alcohol to Jet:ATJ )である.三つ目は, 今後の採用が期待されているもので,再生可能エネルギー由来の電力を用いて製造された水素とCO₂を合成して合成ジェット燃料を製造する,Power to Liquid ( PtL ) と呼ばれる方法による燃料である.
これらの前提条件を,原料に用いる資源量の制約条件などと組み合わせて,世界54の国や地域で2100 年までに航空燃料の製造に活用される技術とその組み合わせをシミュレーションした.
SAFの世界普及シミュレーション結果
2050 年の将来世界において,ICAOによるCO₂排出量削減目標が追求され,普及総量が最大となる場合の世界各地のSAFの生産状況を計算した結果を示す.図は年間のSAF生産量の地域別の大小を色の濃淡で表している.航空燃料の年間生産総量500 Mtoe(石油換算百万トン)の約80%にSAFが採用され,南北アメリカ,中国,東アフリカ,インドなどの地域でSAFが多く生産される予測結果が得られた.
次に,2100 年までの期間における3 種類のSAFの普及可能性をシミュレーションした.想定する社会シナリオによって全体のエネルギー需要に占めるSAFの割合やどの種類のSAFの生産量がどのように変化するか,俯瞰(ふかん)的に捉えることができる.
1.5℃の温度上昇抑制目標を設定し,世界全体および航空業界で環境対応を野心的に追求する社会シナリオでは,2030 年までは,バイオエタノールを原料として安価にSAFを製造できるATJが比較的多い.植物油などを原料とする安価なHEFAは,一定の製造量が計算されるが原料調達に限りがあるため,その伸びは頭打ちとなる.その後SAFの主流はPtLに移行し,2070 年では,PtLによるSAF製造が半分以上を占めるようになる.将来的に,再生可能エネルギーによる水素製造のコストが大幅に低下することで,経済的な負担が軽減され,競争力が高まると予想される.また,この社会シナリオの前提として生物資源保護が考慮されると,バイオマスを原料とするHEFAやATJよりも,回収されたCO₂を原料とする技術であるPtLの方が大量のSAF生産向けに採用されやすくなることが示唆された.
2.5℃を抑制目標として環境対応より航空燃料のコスト性が重視される社会シナリオでは,化石燃料由来の航空燃料が継続して使用される.2030 ~2040 年ごろ以降,HEFAやATJによるSAFが製造されるが,2070年でもSAFの普及は限定的となると予測された.
SAFの技術・サービス展開検討
上述した二つのSAFの普及シナリオが示す結果から,社会が気候変動に取り組む姿勢によって,将来のSAF普及率やSAF製造プロセスに大きな違いが表れることが分かる.
また,バイオマス資源を利用したATJと,回収したCO₂と水素から製造したPtLでは,SAFを製造するための原料も技術も異なる.SAF製造に利用される原料の入手性などにより,SAFが製造される地域にも違いが表れる.
各シナリオを活用される技術と地域で整理した主要地域別SAF製造増加量の計算結果から,次のことが分かる.
温度抑制目標を1.5℃に設定したシナリオでは,アメリカやヨーロッパ,中国などで人為的に排出されるCO₂を回収し,再生可能エネルギーから合成するPtLが多くなる.他方,2.5℃の温度抑制目標で積極的対応が採られない場合は,化石燃料も引き続き使われるものの,アフリカや南アメリカで,バイオマス資源を用いたATJやHEFAの生産増加が見込まれる.
このように,気候変動に対する国際的な取り組み,再生可能エネルギーの普及度合い,カーボンニュートラルに関する技術の進展,コスト構造など,相互に関係するパラメータを組み込んだシミュレーションにより,さまざまな予測が可能となる.これにより,異なる社会シナリオにおける各種エネルギーの普及度合いや利用される技術を予測することができる.IHIグループは,これらの予測を基に,社会,お客さまへのSAFの関連事業,技術・サービス展開につなげていく.
おわりに
本稿では,SAFの例を紹介したが,燃料アンモニアや合成メタンについても同様に,経済性の視点でエネルギー関連技術の普及可能性のシミュレーションを行っている.
IHIグループでは,社会環境の変化を組み込んだシミュレーションを行うことで,将来のエネルギー市場に対して複数のシナリオを描き,将来の社会に合った製品やサービスを提供していく.