水素およびアンモニアガス製造プロセスの化学的判別
室伏祥子,中居真之介,神戸貴史,高橋克巳

室伏 祥子 技術開発本部技術基盤センター物理・化学技術部 主査
中居 真之介 技術開発本部技術基盤センター物理・化学技術部 博士(理学)
神戸 貴史 技術開発本部技術基盤センター物理・化学技術部 博士(工学)
高橋 克巳 技術開発本部技術基盤センター物理・化学技術部 工学博士
現在,気候変動対策として,燃焼時に二酸化炭素を発生しないアンモニアが次世代燃料として注目されている.この燃料アンモニア普及に向け,そのバリューチェーン(製造,供給,利用)構築に向けた各種技術開発が進められている.その製造プロセスにおいて二酸化炭素の発生がないグリーンアンモニアは環境性が高いため,特に普及が望まれる.そのため,グリーンアンモニアとそれ以外のアンモニアを化学的に判別する技術は,グリーンアンモニアの環境価値保証や流通経路の透明性確保に寄与し,グリーンアンモニア普及の一助となる.そこで,アンモニア製造プロセスの違いにより変化する水素同位体比に着目し,その化学的分析方法がアンモニア製造プロセス判別に適用可能か検討を行った.その結果,アンモニア原料である水素が製造プロセスの違いにより,同位体比に差異が生じることを確認した.続いて合成されるアンモニアにも水素同位体比分析技術を用いた本化学的判別技術が適用できる見込みを得た.本稿では,当該技術の概要と分析結果を含む取組状況を説明する.
Ammonia, which releases no carbon dioxide upon combustion, is attracting much interests as a future fuel to address climate change. An array of technological innovations is advanced to facilitate the broad acceptance of ammonia as a fuel and to construct an all-encompassing ammonia value chain, including its supply network and utilization technology. Green ammonia, characterized by its no carbon dioxide emission during production process, presents an environmentally friendly option. To promote the use of green ammonia, we need a technological solution that can effectively identify it from other types of ammonia and ensure its authenticity. Thus, we have investigated a chemical verification method, focusing on the hydrogen isotope ratio, a parameter that is affected by the manufacturing processes until the point of ammonia synthesis. In this paper, we provide an overview and current progress of this technological initiative.
1. 緒言
IHIグループでは,気候変動を重要な課題として,各種技術開発に取り組んでいる.燃焼時に二酸化炭素 ( CO₂ ) を排出しないアンモニア ( NH3 ) は次世代燃料として注目されている.このアンモニアを燃料として普及させるには,アンモニアの製造,輸送,貯蔵,利用といった一連のバリューチェーン構築が必要であり,そのための各種技術開発を進めている.アンモニアは,水素 ( H2 ) と窒素 ( N2 ) を原料に合成される.原料となる水素は多くの場合,製造プロセスでCO₂を排出する水蒸気改質法(改質),もしくはCO₂を排出しない水電解法(電解),どちらかのプロセスにより工業的に製造されている.電力源を再生可能エネルギーとする水電解由来水素はグリーン水素,グリーン水素を原料とするアンモニアはグリーンアンモニアと呼ばれる.グリーン水素およびグリーンアンモニアは環境性が高く,普及が望まれる.そのため,グリーンアンモニアとそれ以外のアンモニアを化学的に判別する技術は,グリーンアンモニアの環境価値保証や流通経路の透明性確保に寄与することができ,グリーンアンモニア普及の一助となる.水素およびアンモニアの水素同位体比は製造プロセスの影響を受け変化する.同位体比の化学的分析方法は水素ガスの水素同位体比分析には用いられているものの,その製造プロセス判別への適用,さらにアンモニアガスを分析対象とした事例は現状確認できていない.そこで,今回水素同位体比分析による水素およびアンモニアの製造プロセス判別が可能か検討を行った.
本稿では,まず主要な水素およびアンモニアの製造プロセスと環境価値保証に関する社会動向を紹介する.次に,開発中の化学分析による製造プロセス判別技術の概要と取組み状況を説明する.
2. 水素およびアンモニアガスの製造プロセスと環境価値保証
2.1 水素とアンモニアガス製造プロセスと環境性
水素とアンモニアガスの製造プロセスと環境性に基づく色分類を第1図に示す.製造プロセスと環境性の違いにより,大きく次の3 色に色分けして分類される.
- (1)グレー水素およびアンモニア:
- 天然ガスや石炭の水蒸気改質により合成される水素とこれを原料とするアンモニア
- (2)ブルー水素およびアンモニア:
- グレー水素およびアンモニアと同様の製造プロセスであるものの,製造時に排出されるCO₂を回収・貯留もしくは有効利用
- (3)グリーン水素およびアンモニア:
- 再生可能エネルギーを電力源とした水電解由来水素とそれを原料とするアンモニア
各色分類のアンモニアの製造プロセスから直接排出されるCO₂排出量と製造コストを第1表に示す.発電量1 MW·h分のグリーンアンモニアを製造するプロセスにおけるCO₂排出量は,0 kg-CO₂ /MW·hである.これは,ブルーおよびグレーアンモニアでのCO₂排出量と比べると,明らかに環境負荷が低いといえる.一方で,グリーンアンモニアの製造コストはグレーアンモニアに比べると3 ~4 倍であり,グリーンアンモニアの普及には補助金などの助成や他のアンモニアとの価値を差別化する必要があると考えられる.


2.2 環境価値保証に関する社会動向
欧州では,材料の環境価値について,化学的証拠と技術的知識に基づき立証を求める欧州グリーンクレーム指令案 ( Proposal for a Directive on Green Claims ) ( 4 ) が2023 年3 月22 日に発表された.欧州委員会の調査によりEU域内の環境訴求製品の半数以上で根拠のない内容がうたわれていることが明らかとなったことから,実質を伴わない環境訴求を防止しようとする指令案 ( 5 ) である.
また,環境に配慮したバイオマス由来原料を用いた製品の優先利用やカーボンプライシングのため,バイオベース度(どの程度非化石由来材料かを示す)をオンサイトで計測する技術の開発も活発になってきている ( 6 ).
このように,製品の環境価値保証につながる技術の必要性や重要性は高まりつつある.
3. 水素およびアンモニアガス製造プロセスの化学的判別
3.1 製造プロセスを判別する化学分析手法
製造プロセスの違いを明らかにするための化学分析手法について説明する.地学や環境,食品の分野では,化合物中の同位体比分析により,年代や気候変動の推定,生産地判別を行っている.そこで今回,水素およびアンモニアガスの製造プロセス判別のため,水素の同位体比分析が適用可能か検討を行うこととした.同位体は,同じ元素の中で原子核内の陽子数は同一であるが中性子数が異なるものを指し,特に放射壊変しない同位体は安定同位体と呼ばれる.水素の安定同位体の模式図を第2図に示す.同一元素の同位体同士は化学的性質がほぼ同一であるものの,元素を構成する中性子の数が違い,質量数が異なる.ごく端的なイメージとして,質量数が小さい同位体は,動きやすく反応が進みやすい(原子間の結合が切れやすい).一方,質量数が大きい同位体は動きにくく,反応が進みにくい.より詳細には,質量数が小さい同位体元素のみから成る分子より,大きい同位体元素を含む分子の方が,分子の運動エネルギーのうち,原子間結合に関与する振動エネルギーが低く,原子の解離(反応)がしにくくなる.これは同位体効果と呼ばれ,この違いは,反応温度が低いほど顕著に現れる.そのため,製造プロセスでの反応温度条件の違いにより,製造される化合物中の元素の同位体比に差が生じる.反応温度が低い製造プロセスでは,質量による動きやすさの差が現れやすく,反応前後の同位体比の違い,変化が大きくなる.なお,この変化の度合いは,化合物が経るプロセスにより異なり,一般的に同位体分離係数αとして表される.

3.2 水素同位体比分析
水素は安定同位体として,水素1H ( H ) および重水素2H ( D ) が存在する.水素に対する重水素の自然界における存在比は典型的に0.015%とごく僅かである.あるサンプルの水素同位体存在比を表す際には,標準物質の水素同位体比に対する偏差を用いる.水素/重水素の同位体比率の基準になる標準物質は,標準海水 ( Vienna Standard Mean Ocean Water:VSMOW,D/H = 155.76 ± 0.1 ppm ) が定められている ( 8 ).自然界のあるサンプルの同位体比を示す量をδDとして表し,以下のように定義されている.
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つまり,基準とするVSMOWの同位体比に対し,サンプルの同位体比がどの程度変化するかという量を示している.通常,この同位体比の変化量はごく僅かであるため,この値は千分率(‰)単位で示す.また,水素同位体比分析には,同位体比質量分析計 ( Isotope-ratio mass spectrometry:IRMS ) を用いる.第3図に分析計前段にガスクロマトグラフィー ( GC ) を持つIRMS装置の概要図を引用して示す.このIRMSの装置構成ではまずGCにてNH3ガス中に少量含まれるH2Oや空気と分離され,次に熱分解炉にてH2に分解される.H2に分解されたガスがIRMSに入り,重水素の有無により変化するH2の質量ごとに分離され試料ガス中の水素同位体比として計測される.

なお,今回水素およびアンモニアガスの分析試料は次の製造プロセス由来による試料を用いた.水素ガスは,電解由来水素ガスとして食塩電解由来水素ガス,また,改質由来水素ガスとしてLNG改質由来水素ガスを用いた.アンモニアガスは,原料に改質由来水素ガスとするガスを用いた.
3.3 製造プロセスの異なる水素およびアンモニアガスの水素同位体比
製造プロセスの異なる水素およびアンモニアガスのIRMSによる水素同位体比分析結果を第4図に示す.
水素ガス分析の結果,改質由来水素ガスのδD値の方が電解由来水素ガスのδD値よりも有意に高い値を示した.これにより,製造プロセスの異なる水素ガス間で分析値に明確な差異があることを確認できた.電解由来水素ガスのδD値と改質由来水素ガスのδD値は差異があるが,これは反応温度の差異が要因と考えられる.水素生成時の反応温度は,食塩電解では100℃未満である一方,LNGの水蒸気改質では700℃以上の高温である.反応温度条件が異なるため,3. 1節で述べたように反応の進みやすさに差が生じ,水素同位体比に差異が生じたと推測されるとともに,今回の分析により実験的にも製造方法の違いによる水素同位体比の差を明らかにすることができた.

アンモニアガスの水素同位体比分析結果も第4図に示す.通常,アンモニアガスは,原料となる水素ガスと窒素ガスを用い,工業的にはハーバーボッシュ ( Haber-Bosch:HB ) 法により合成される.HB法では,生成ガスから分離した未反応の水素ガスを再度反応器に戻しアンモニアガスとする.そのため,アンモニアガスの水素同位体比は,その原料となる水素ガスの同位体比と同等程度の値を示すことが期待される.今回,改質由来水素ガスを原料とするアンモニアガスの水素同位体比は,改質由来水素ガスの水素同位体比と近い値を示すことを確認した.一方で,電解由来水素ガスにより工業的に合成されたアンモニアガスは,商用化途上にあり,入手が困難である.そのため,改質由来アンモニアガスと同等条件で合成された電解由来アンモニアガスの水素同位体比の結果は得ていない.ただし,先述したとおりアンモニアの工業的合成法の特徴と今回の改質由来水素とアンモニアの水素同位体比の結果から,電解由来アンモニアガスでも改質由来アンモニアガスと同様の現象と電解由来水素の水素同位体比と近い値が得られることが十分に期待できる.
4. 結言
今回,水素およびアンモニアガスの製造プロセスを判別する化学的分析手法として,同位体比分析を紹介した.本分析手法を用いることにより電解もしくは改質,どちらの製造プロセスを経た水素およびアンモニアガスであるか,判別できる見込みを得た.一方で,電解,改質以外による水素およびアンモニアガスの新規な製造法の開発も進んでいる.そのため,アンモニアバリューチェーン構築に向け,これらの水素やアンモニアガスに対して本判別技術の適用が可能かどうかを検討する必要がある.
今後もグリーン水素およびアンモニアガスをはじめとする環境価値の高い製品の保証技術確立に向け,引き続き検討を行う.
- ― 謝 辞 ―
- 本技術検討に当たり,東北大学大学院農学研究科農芸化学専攻生物化学講座小島創一助教にご助言いただきました.また,IHI OBである綾部統夫氏より同位体に関する技術指導をいただきました.ここに記して謝意を表します.
参考文献
(1) 村木 茂:資料5 クリーン燃料アンモニアの定義について,総合資源エネルギー調査会 第6回 省エネルギー・新エネルギー分科会 水素政策小委員会 資源・燃料分科会 アンモニア等脱炭素燃料政策小委員会合同会議,2022 年11 月16 日
(2) 神山慶太,廣瀬 聡:従来のアンモニアおよびブルーアンモニア,グリーンアンモニア,化学工学,第86巻,第12号,2022 年,pp. 609-612
(3) 三井住友信託銀行:アンモニア発電は脱炭素社会の新潮流となるのか,調査月報,2022 年9 月号,No. 125,pp. 19-24
(4) EUROPEAN COMMISSION:Proposal for a DIRECTIVE OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL on substantiation and communication of explicit environmental claims ( Green Claims Directive ),https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX%3A52023PC0166&qid=1730166571039,(参照2024. 10. 29)
(5) ビジネス短信 ― ジェトロの海外ニュース:欧州委,環境訴求で科学的根拠に基づく立証と外部検証を義務付ける法案発表,https://www.jetro.go.jp/biznews/2023/03/fb350ed02bc96bde.html,(参照2024. 8. 29)
(6) 産業競争力懇談会COCN:炭素の非化石認証,及びトレーサビリティの確立,産業競争力懇談会2023 年度プロジェクト中間報告,2023 年10 月5 日
(7) 陀安一郎,申 基澈,鷹野真也編:3 章 ところで,同位体って何?,元素の同位体比,陀安一郎,同位体環境学がえがく世界:2022 年版,2022 年3 月31 日改版,pp. 49-50
(8) INTERNATIONAL ATOMIC ENERGY AGENCY ( IAEA ):Reference and intercomparison materials for stable isotopes of light elements,Proceedings of a consultants meeting held in Vienna, 1-3 December 1993,IAEA-TECDOC-825,1995 年9 月,pp. 16-18
(9) 力石嘉人,大場康弘:ガスクロマトグラフ⁄同位体比質量分析計による分子レベル安定同位体比分析法,Researches in Organic Geochemistry,23.24巻,2008年,pp. 99-122